比べてはいけないと分かっていても比較してしまった日々

隣の芝生が青く見える苦しみ——「比較」という迷路から抜け出すための心の処方箋
「あの子はもうあんなことができるのに、うちはどうして……」。そんな思いに胸を締め付けられたことはありませんか。障害のあるお子さんや家族を支える中で、頭では「人は人、自分は自分」と分かっていても、公園で元気に走る子供たちや、SNSで流れてくる「成長の証」を見ては、言いようのない孤独感や焦燥感に襲われる。それは決してあなただけが抱える特別な感情ではありません。
私自身、息子の知的障害が分かってから数年間、常に誰かと何かを比較し、自ら傷つく日々を送っていました。しかし、その苦しい「比較の迷路」を通り抜けた先に、息子本来の輝きを見つけられる場所がありました。この記事では、私がどのようにして比較の呪縛から逃れ、ありのままの日常を愛せるようになったのか、その試行錯誤の道のりと心の整理術を詳しくお伝えします。今、暗い迷路の中で立ち止まっているあなたの心が、少しでも軽くなることを願っています。
止まらない比較——私が陥った深い心の闇
母子手帳という名の「通知表」
息子の発達の遅れが気になり始めた頃、私にとって母子健康手帳は、開くのが恐ろしい「通知表」のような存在でした。周囲のママ友たちが「うちの子はもう歩いた」「言葉が出た」と喜ぶ声を聞くたびに、私は手帳の空白を数えては溜息をついていました。標準的な成長曲線から大きく外れていくグラフを見るたびに、自分の子育てまでもが否定されているような錯覚に陥ったのです。
当時の私は、息子を一人の人間として見る前に、「平均値との差」でしか見ていませんでした。本来なら喜ぶべき小さな成長、例えば「目が合った」「指を握ってくれた」といった瞬間さえ、同年代の子供ができることと天秤にかけては、「まだこれだけしかできない」と切り捨ててしまっていたのです。比較は、親子の間に流れるべき純粋な愛情を、焦りという濁った水で満たしてしまいました。
SNSに溢れる「輝かしい日常」との対峙
スマートフォンの画面を開けば、そこにはフィルターをかけたような美しい日常が溢れています。同じ障害を持つお子さんの親御さんのアカウントであっても、「療育でこんな成果が出た」「こんなに物知りになった」という投稿を見ると、手放しで喜べない自分がいました。自分の心の狭さを自覚し、さらに自己嫌悪が深まるという悪循環です。
他人の幸せを素直に喜べないのは、自分自身が満たされていない証拠でした。SNSの情報は、あくまでその人の人生の「最高の瞬間」を切り取ったものに過ぎません。その裏にある苦労や葛藤を想像する余裕もなく、私は表面的な「できていること」だけを抽出しては、自分の現状と比較して打ちのめされていました。デジタルの世界は、比較の種を際限なく蒔き続けていたのです。
⚠️ 注意
心が弱っている時のSNS利用は、自傷行為に近いストレスを心に与えることがあります。辛いと感じたら、物理的にスマートフォンを遠ざける「デジタルデトックス」を意識的に行いましょう。
定型発達の兄弟・親戚との距離感
最も身近で、かつ避けられない比較の対象は、親戚の集まりや兄弟の存在でした。従兄弟がランドセルを背負って小学校へ行く姿、スポーツで活躍する姿。それをお祝いしなければならない席で、私はいつも逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。「もし息子に障害がなかったら」という、意味のない仮定を繰り返しては、現実の息子を遠ざけていたのです。
親族からの「まだ喋らないの?」「歩くのはいつ頃になりそう?」という悪気のない言葉は、鋭いナイフのように私の心を抉りました。彼らにとっての日常は、私にとっては必死に追い求めても届かない理想郷でした。身近な人々との関わりが、図らずも「持っている者」と「持たざる者」という残酷な対比を際立たせてしまっていたのです。
なぜ私たちは「比べてしまう」のか
社会が求める「標準」への同調圧力
私たちは幼い頃から、偏差値や順位、平均年収といった「数字による比較」に晒されて生きています。社会全体が「普通であること」や「平均以上であること」に価値を置く構造になっているため、そこから外れることに強い恐怖を感じるのは自然な防衛本能とも言えます。障害福祉の世界でも、2020年代に入りインクルーシブ教育が進んではいますが、依然として「標準」という壁は厚く存在します。
この同調圧力は、知らず知らずのうちに私たちの内面を支配します。「普通ならこうあるべき」という架空の物差しを捨てられないのは、私たちが社会から孤立することを恐れているからです。しかし、その物差しで子供を測り続けても、誰も幸せにはなれません。比較の原因はあなたの性格ではなく、私たちが育ってきた環境そのものにあるのだと理解しましょう。
「親としての責任」という重圧
「子供の成長は、親の努力の結果である」という過剰な責任感も、比較を助長します。療育に熱心に通わせ、家でも訓練を繰り返し、それでも変化が乏しい時、私たちは他の「成功している家庭」を見て、自分のやり方が間違っているのではないかと疑います。親としてのプライドや義務感が、他人との比較を止められなくさせてしまうのです。
しかし、障害や疾患の特性は、努力だけでコントロールできるものではありません。100通りの障害があれば、100通りの成長曲線があります。親の責任を「健常児に近づけること」と定義してしまうと、比較は止まりません。本来の責任とは、「本人が安心して今を生きられる環境を整えること」であるはずです。自分を責めるエネルギーを、今の本人を肯定する力に変えていく必要があります。
💡 ポイント
比較をやめようと努力すること自体が、自分を追い詰めることがあります。「今は比べてしまっても仕方ない」と、その感情さえも一度受け入れてしまうことが、迷路から抜け出す第一歩です。
将来への不安という「妄想」の暴走
私たちが今を比較してしまうのは、実は「未来」が怖いからです。「今、言葉が出なければ、将来働けないのではないか」「今、靴が履けなければ、一生自立できないのではないか」。周囲との遅れを、そのまま「不幸な未来の予兆」として捉えてしまうため、一喜一憂が止まらなくなります。
未来はまだ存在しません。今、周囲より遅れているからといって、その子の人生の価値が損なわれるわけではありません。比較は、まだ見ぬ未来への不安を具体化するための手段になってしまっています。「今」のこの子をしっかり見る。そのマインドフルな視点を持つことで、比較という妄想の暴走を食い止めることができるようになります。
「物差し」を自分たち専用のものに作り替える
過去の本人と今の本人を比べる
他人との比較を止めるために最も効果的だったのは、「過去の本人」だけを唯一の比較対象にすることでした。一年前の息子、一ヶ月前の息子。そこには必ず、小さな、しかし確実な変化があります。他人の子と比べれば「まだできないこと」ばかりですが、過去の息子と比べれば「できるようになったこと」の宝庫でした。
「自分ですくって食べようとした」「嫌な時に手を振って意思表示をした」。これらは、定型発達の基準では見落とされるほどの微細な変化です。しかし、本人にとっては命を懸けた大いなる一歩です。この「個別の進歩」に焦点を当てるようになると、母子手帳の空白ではなく、日々の暮らしの中に溢れるキラキラとした瞬間が目に入るようになりました。
「できる・できない」から「好き・嫌い」へ
価値観の軸を能力(パフォーマンス)から感情(エモーション)にシフトさせました。世間との比較は常に「何ができるか」という軸で行われます。しかし、家族としての幸せの軸は「何が好きで、何に笑うか」であって良いはずです。息子が電車を見て目を輝かせている時、そこに障害の有無や発達の遅れは関係ありません。
「今日は〇〇が上手にできたね」と褒める代わりに、「今日は〇〇を楽しそうにしていたね」と声をかける。この意識の変換により、私は息子を「課題を克服すべき対象」ではなく、「共に楽しむパートナー」として見られるようになりました。能力の比較競争から降りることで、家庭内の空気は驚くほど穏やかになりました。
| 比較の対象 | 従来の視点(苦しい時) | 新しい視点(楽な時) |
|---|---|---|
| 他の子供 | 自分たちに足りないものを見つける | よそはよそ、うちはうち、と割り切る |
| 自分自身の過去 | 「あの頃は良かった」と嘆く | 「ここまで乗り越えてきた」と誇る |
| 本人の状態 | 平均的な発達段階との乖離を測る | 昨日の本人からの微増を喜ぶ |
| SNS | 他人の成功を自分の劣等感に変える | 「そういう家庭もあるね」とスルーする |
支援者と一緒に「小さな目標」を共有する
一人で物差しを管理するのは大変です。私は、放課後等デイサービスや療育センターの先生方に、「他人と比べてしまって辛い」と正直に打ち明けました。すると、専門家の視点から、息子の「目立たないけれど素晴らしい成長」をたくさん教えてもらえるようになりました。自分一人では見つけられなかった「物差し」の目盛りを、プロの手を借りて刻んでいったのです。2024年現在、多くの支援現場では「本人中心支援」が徹底されており、こうした親の葛藤に寄り添うカウンセリング的な関わりも重視されています。
専門家と共有する「個別支援計画」は、世界に一つだけの、息子専用の成長記録です。そこに書かれた目標を一つひとつクリアしていく過程は、誰とも競う必要のない、穏やかな登山のようなものでした。第三者の視点を入れることで、独りよがりの比較から抜け出し、客観的に本人の歩みを祝福できるようになりました。
エピソード:公園での出来事と気づき
あの日、砂場で感じた孤独
息子が5歳の頃、近所の公園の砂場での出来事です。隣では、同じ年頃の男の子たちが道具を器用に使って大きな山を作っていました。一方で息子は、ただ砂を握っては落とす、という動作を繰り返していました。その男の子の母親が「すごいね、上手だね!」と声をかけるたびに、私の心はトゲのある植物に締め付けられるようでした。
私は息子を促そうと「ほら、あの子たちみたいにスコップ使ってごらん」と、無理に道具を握らせました。息子は嫌がり、泣き出してしまいました。その時、周囲の視線が突き刺さるように感じ、私は息子を抱えて逃げるように公園を後にしました。帰り道、涙が止まりませんでした。「なぜ普通の幸せが、こんなに遠いのだろう」と。
「砂の感触」を楽しんでいた息子の真実
数日後、療育の先生にその話をすると、先生は優しくこう言いました。「お母さん、その時息子さんは、どんな表情をしていましたか?」。私はハッとしました。無理にスコップを握らせる前、息子は砂が指の間を抜けていく感触に、とても穏やかで、満足そうな顔をしていたことを思い出したのです。
立派な山を作ること。それは私のエゴであり、世間的な「砂遊びの正解」でした。しかし息子にとっての正解は、砂の感触、温度、音を全身で味わうことだったのです。息子は息子なりの宇宙を楽しんでいた。それを「山を作れない」という一点で否定してしまった自分に気づき、私は心から息子に謝りました。公園での比較は、私のフィルターが生んだ幻想に過ぎなかったのです。
✅ 成功のコツ
他人の子と関わる場面では、あえて「実況中継」を心の中でやってみましょう。「あの子は走っている、息子は座っている。太陽は照っている、風は吹いている」。事実だけを並べることで、価値判断(良い・悪い)の介入を防げます。
比較をやめた日に見えた景色
それ以来、私は意識的に「本人の楽しみ」を探すようになりました。公園へ行っても、他の子が何をしていようと、息子が今何に心を動かされているかだけを観察しました。すると、不思議なことに、他のママたちとも気楽に話せるようになりました。「うちは砂の感触が好きみたいで」と笑って言えるようになったのです。
比較という武装を解いたことで、周囲も私に優しく接してくれるようになりました。自分が周囲を敵(比較対象)として見ていたから、周囲も刺々しく感じていただけだったのかもしれません。息子をありのままに受け入れることは、自分自身をありのままに受け入れることでもありました。砂場は、競争の場から、多様な楽しみが共存する平和な場所に変わりました。
障害支援の現場でよくある質問(FAQ)
Q. 親戚やママ友からの無神経な比較発言に、どう対応すればいいですか?
真正面から受け止めて説明しようとすると、あなたが疲弊してしまいます。そんな時は、「魔法のフレーズ」を決めておきましょう。「うちはうちのペースで、のんびりやってるんです」「専門の先生にお任せしているので大丈夫ですよ」と、笑顔でシャットアウトして良いのです。相手に悪気がない場合が多いからこそ、深入りせず、自分の心の境界線(バウンダリー)をしっかり守ることが大切です。
Q. 定型発達の兄弟が、障害のある兄弟と自分を比較して落ち込んでいます。
きょうだい児の問題は非常にデリケートです。「お兄ちゃんだけズルい(わがままが許されている)」と感じたり、逆に「自分は完璧でいなければ」とプレッシャーを感じたりします。大切なのは、きょうだい児に対しても「あなたの物差し」を個別に持っていることを伝えることです。「障害があるから特別」なのではなく、「あなたはあなたとして特別で、お兄ちゃんはお兄ちゃんとして特別なんだよ」というメッセージを、日常の些細な場面で繰り返し伝えましょう。二人きりの時間(スペシャルタイム)を作ることも有効です。
Q. 比較をやめようと思っても、ふとした瞬間に再発してしまいます。意志が弱いのでしょうか?
全くそんなことはありません。比較は、脳の生存本能に近い癖のようなものです。意志の強さの問題ではなく、単なる「習慣」だと捉えてください。再発したときは「あ、また比べてるな。私、疲れてるのかな」と、自分の状態を知るサインにしましょう。自分を責めるとさらにストレスが溜まり、より比較しやすくなります。「今は比較シーズンなんだな」と受け流す余裕を持つことが、長続きの秘訣です。
まとめ
「比較」という迷路は、出口がないように見えて、実は足元に鍵が落ちています。それは、他人の物差しを捨て、自分たち家族だけの「幸せの定義」を書き換えるという勇気です。今日、この瞬間から、あなたは誰とも競わなくていいのです。
- 過去の本人を最大のライバルにする:他人との横の比較ではなく、過去からの縦の成長を1ミリ単位で喜びましょう。
- 「能力」より「感情」を軸にする:何ができるかではなく、何に笑い、何を愛しているかに焦点を当てましょう。
- 孤独を避けてチームを頼る:支援者や仲間と「自分たち専用の物差し」を共有し、孤立を防ぎましょう。
まずは今日、お子さんやご家族の「昨日までにはなかった素敵な瞬間」を一つだけ見つけてみてください。そして、それを手帳の隅にでも、あなたの心にでも、そっと書き留めておきましょう。その小さな積み重ねが、いつか比較の迷路を完全に抜け出し、光溢れる場所へとあなたを導いてくれるはずです。あなたはもう、十分に頑張っています。これからは、あなた自身のペースで、ゆっくりと歩んでいきましょう。

鈴木 美咲
(すずき みさき)42歳📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員
相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。
社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。
もっと詳しく▼
💭 福祉の道を選んだ理由
大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。
✨ 印象に残っている出来事
孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。
✍️ 記事を書く上で大切にしていること
実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。
🎨 趣味・特技
ヨガ、カフェ巡り
🔍 最近気になっているテーマ
ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア





