家族が支援機関に救われた話

孤立した夜を超えて:支援機関と出会い、家族の笑顔を取り戻した真実の記録
「もう限界かもしれない」。障害を持つ家族を抱え、そう漏らした夜が何度あったでしょうか。毎日の絶望感や、誰にも相談できない孤独感、そして未来が見えない恐怖。かつての私は、暗い海を一人で漂う小舟のような心境で、必死に家族を支えていました。しかし、ある支援機関との出会いが、私たちの運命を大きく変えてくれました。
この記事では、孤立無援だった我が家がいかにして支援機関に救われ、平穏な日常を取り戻したのかを、飾らない言葉で綴ります。支援を受けることへの「ためらい」や「罪悪感」を抱えている方へ、他者の手を借りることが決して敗北ではなく、家族が幸せになるためのポジティブな選択であることをお伝えします。読後には、きっと窓を開けたときのような清々しい希望を感じていただけるはずです。
誰にも頼れなかった「暗黒時代」の葛藤
息子に発達障害の診断が下りた2024年より数年前、私たちの生活はまさに戦場でした。激しい癇癪、睡眠障害、そして外出先でのパニック。私は「親なのだから自分が何とかしなければならない」という強い呪縛に囚われていました。親族からも「育て方が甘いのではないか」と言われ、外の世界がすべて敵に見えていた時期です。
当時の私は、支援機関の存在こそ知っていましたが、そこへ行く勇気を持てませんでした。「他人に迷惑をかけてはいけない」「障害を認めるのが怖い」という感情が、足を止めていたのです。結果として私は24時間休まることなく息子と向き合い、自分自身の心身がボロボロになっていることにさえ気づかないほど麻痺していました。
「普通」に固執してすり減る毎日
当時の私が最も恐れていたのは、周囲の視線でした。スーパーで息子が床に寝転がって泣き叫ぶたび、私は申し訳なさと情けなさで消えてしまいたいと思っていました。必死に「普通の子」に見えるように息子を躾けようとしましたが、それは彼にとっても、私にとっても、ただ苦痛を強いるだけの行為だったのです。
夜中に息子が眠らずに暴れる中、私はリビングの隅で声を殺して泣いていました。「なぜ私だけがこんな思いをしなければならないのか」という不当感と、そう思ってしまう自分への自己嫌悪。家族の絆であるはずの存在が、いつの間にか重荷に感じられてしまう。そんな悲しい逆転現象が、我が家では起きていました。
限界のサインを見逃していた結果
身体は正直でした。ある朝、私は起き上がることができなくなりました。めまいと激しい動悸。医師からは「重度の適応障害」と告げられました。皮肉なことに、自分が倒れて初めて、私は「このままでは家族が共倒れになる」という現実に直面したのです。これ以上、自分一人の力では、この舟を漕ぎ続けることはできないと悟りました。
それでもまだ、私は「恥をさらすのではないか」と躊躇していました。しかし、夫が私の手を取り、「もう頑張らなくていい、誰かに助けてもらおう」と言ってくれたことが、重い扉を開ける最後のひと押しとなりました。私たちは、地域の発達障害者支援センターへ電話をかけることにしたのです。それが、希望へと続く第一歩になるとは、その時はまだ想像もしていませんでした。
初めて電話をかけた日の震える声
受話器を握る手が震えていたのを今でも鮮明に覚えています。「あの……相談したいことがあるのですが……」。そう切り出した私の声は、涙で途切れ途切れでした。電話口の担当者の方は、急かすことなく、ただ静かに「はい、ゆっくりで大丈夫ですよ」と言ってくださいました。その一言だけで、私の張り詰めていた糸がふっと緩んだような気がしました。
相談員の方は、私の脈絡のない話を30分以上も聞き続けてくれました。最後に言われた「今まで本当にお一人でよく頑張ってこられましたね」という言葉。それは、誰にも認められず、孤独に戦い続けてきた私への、人生で一番欲しかった肯定の言葉でした。「助けて」と言えた自分を、その時初めて、少しだけ誇らしく思うことができました。
💡 ポイント
支援機関へ相談することは、親としての責任を放棄することではありません。むしろ、家族の健康を守るための「賢明なマネジメント」なのです。
支援機関の扉を開けて知った「専門知」の凄さ
予約当日、私は重い足取りでセンターの門をくぐりました。しかし、そこで待っていたのは、事務的な手続きだけではありませんでした。専門的な知識に基づいた具体的なアドバイスと、何よりも「当事者家族としての視点」を大切にしてくれる温かいスタッフの方々との出会いでした。
彼らは、私が長年悩んでいた息子の行動を「脳の特性によるもの」と明快に分析してくれました。それは、私の育て方のせいではなく、単に「情報の処理方法が違うだけ」だという科学的な事実でした。この日を境に、私の心から「自分を責める」という重い重荷が、少しずつ、確実に消えていくのを感じました。
個別支援計画が道標になった
支援機関がまず行ってくれたのは、息子の「特性の可視化」でした。知能検査や行動観察を通じて、息子が何を得意とし、何に困難を感じているのかを、数値と具体的な言葉で示してくれました。それまで「何だかよくわからない怪物」のように思えていた息子の障害が、「対処可能な課題のリスト」へと変わったのです。
これに基づき作成された「個別支援計画」は、私たち家族にとっての羅針盤となりました。「いつ、誰が、どのようなサポートをするか」が明確になり、私たちだけが頑張るのではなく、学校や放課後等デイサービスといったチームで息子を支える体制が整いました。暗闇でどこを歩けばいいかわからなかった私たちに、一条の光が差し込んだ瞬間でした。
具体的な「ライフハック」の伝授
支援員さんは、日常生活ですぐに使える具体的なテクニックをたくさん教えてくれました。例えば、言葉での指示が通りにくい息子に対して、「絵カード」を使った視覚的なスケジュール管理を導入すること。たったそれだけのことで、あれほど激しかった朝のパニックが嘘のように鎮まりました。「伝え方を変えるだけ」で、こんなにも世界が変わるのかと衝撃を受けました。
また、感覚過敏への対策としてイヤーマフの使用や、衣類のタグを取り除くといった細やかな工夫も提案してくれました。これらは、素人の私一人では決して思いつかなかったことばかりです。専門家の知恵を借りることで、私たちは無駄な衝突を避け、息子にとって心地よい環境を整えることができるようになりました。家庭が再び「安らぎの場」に戻り始めたのです。
親の「レスパイト」という概念
支援機関が教えてくれた最も大切な概念の一つが「レスパイト(一時休息)」でした。支援員さんは、「お母さんが元気でないと、お子さんの支援は続きません。積極的にお子さんと離れる時間を作ってください」と言いました。最初は、子どもを預けて遊ぶことに強い罪悪感がありましたが、実際にショートステイ(短期入所)を利用してみると、驚くべき効果がありました。
息子と離れて一晩ぐっすり眠り、自分の好きな本を読んだり、夫とゆっくり会話をしたりする時間。それだけで、私の心には再び息子への愛情を注ぐための「心のコップ」に水が溜まりました。迎えに行った際、息子の顔を見て心から「会いたかったよ」と笑顔で言えたとき、休息の重要性を痛感しました。支援機関は、親の心を守る盾でもあったのです。
✅ 成功のコツ
支援機関との面談では、小さなことでも「困っていること」をすべて書き出していくのがおすすめです。プロの視点は、自分では気づかなかった解決策を導き出してくれます。
多機関連携:家族を支える「チーム」の結成
支援センターとの繋がりをきっかけに、私たちの周りには次々と「味方」が増えていきました。2025年現在、福祉の現場では「多機関連携」という考え方が主流になっています。これは、一つの機関だけでなく、複数の機関が情報を共有し、一人の障害者とその家族を多角的に支える仕組みのことです。
私たちは、相談支援事業所のケアマネジャー(相談支援専門員)を中心に、放課後等デイサービス、学校の特別支援学級、そして訪問看護ステーションという強力なチームを結成しました。かつて、一軒の家の中で孤立していた私たちは、今や強固なネットワークの中心にいます。この「繋がり」こそが、何にも代えがたい安心の正体でした。
ケアマネジャーという「伴走者」
私たちの担当になったケアマネジャーさんは、まさに家族の伴走者でした。役所への複雑な申請手続きを代行・補助してくれるだけでなく、家族のライフステージに合わせた将来設計を一緒に考えてくれました。「将来、私たちが死んだ後はどうなるのか」という最大の不安に対しても、グループホームの現状や成年後見制度について具体的に教えてくれました。
彼女は月に一度、必ず我が家を訪問し、「最近どうですか?」と優しく声をかけてくれます。そこで話すのは、制度の話ばかりではありません。最近息子が笑ったことや、私の趣味の話など、何気ない日常の会話です。その繋がりがあるからこそ、「何かあっても彼女に言えば大丈夫だ」と思える。この心理的な安全地帯があることで、私たちの生活は格段に安定しました。
放課後等デイサービスで見つけた「居場所」
息子が通い始めた放課後等デイサービスは、彼にとって「第二の我が家」となりました。そこには、彼の特性を深く理解し、ありのままの彼を認めてくれるスタッフや仲間がいました。学校では「できないこと」ばかりに目が向きがちですが、デイサービスでは彼の「好きなこと・得意なこと」を徹底的に伸ばしてくれました。
電車が大好きな息子。スタッフさんは一緒に鉄道図鑑を作り、彼を「電車の博士」として扱ってくれました。褒められる経験を重ねるうちに、息子の自己肯定感は目に見えて向上し、表情が明るくなっていきました。家族以外にも自分を認めてくれる場所がある。それは、息子が社会の中で生きていくための、かけがえのない自信の根源となっています。
学校との関係性も劇的に改善
支援機関が入る前、私は学校に対しても「迷惑をかけて申し訳ない」という卑屈な態度をとっていました。しかし、支援員さんが学校との話し合い(ケース会議)に同席してくれるようになり、風向きが変わりました。専門家の客観的な意見が入ることで、学校側も具体的な合理的配慮の方法を理解してくれたのです。
今では、学校でのトラブルも「誰かのせい」ではなく「どうすれば防げるか」という建設的な議論の対象になりました。先生方も私たちのチームの一員として、息子の成長を共に喜んでくれる存在になりました。「孤立した家庭 vs 学校」という対立構造が消え、「チーム全体で子どもを育てる」という理想的な形が実現したのです。
「一人で抱え込まずに、周りを頼ってください。それが、お子さんのためでもあり、あなたの人生のためでもあるのです」
— 最初の面談で相談員さんに言われた言葉
直面した「支援の限界」とそれを超える「家族の力」
もちろん、すべてがバラ色になったわけではありません。支援機関を導入しても、息子の障害が消えるわけではなく、困難な日は依然として訪れます。また、支援者との相性が合わなかったり、制度の壁に阻まれて望むようなサービスが受けられなかったりすることもありました。2026年を迎える今でも、制度の不備や地域格差はゼロではありません。
しかし、支援機関に救われた私たちが得た最大の武器は、「解決策は必ずどこかにある」という「希望の持ち方」でした。一つの支援がダメでも、別の扉を叩けばいい。支援者と一緒に知恵を絞ればいい。このマインドセットの変化こそが、制度そのものよりも私たちを強くしてくれたのです。支援機関は、私たちに「自律的に生きる力」を授けてくれたのでした。
相性の合わない支援者との向き合い方
支援も人間関係ですから、相性はあります。以前、担当になったヘルパーさんとの考え方が合わず、ストレスを感じたことがありました。その時、ケアマネジャーさんに正直に相談したところ、「お母さんが無理をする必要はありません。交代しましょう」と、あっさり解決してくれました。「合わないと言ってもいい」という許可を自分に出せたことも、大きな成長でした。
支援者を変えることは失礼なことではなく、より良い支援環境を作るための前向きな調整です。私たちは「支援の消費者」としての視点を持つようになり、自分たちに合った形を自ら選べるようになりました。自分たちの生活を自分たちでコントロールできているという感覚。これが、かつての「流されるままだった日々」との決別でした。
制度の隙間を埋めるインフォーマルな繋がり
公的な支援(フォーマルサービス)だけでは埋められない隙間があります。それを埋めてくれたのは、支援機関を通じて出会った「親の会」などの自主的な繋がりでした。同じ悩みを持つ親同士だからこそ共有できる「あるある話」や、地域の裏技的な情報の数々。そこでの会話は、どんな専門書よりも私の心を軽くしてくれました。
「うちもそうだよ!」「それは大変だったね」。その一言で、孤独な魂は癒やされます。私たちは、支援機関という公式な入り口から、「当事者コミュニティ」という広大な草原へと飛び出したのです。そこでは誰もが助け合い、支え合っていました。障害をきっかけに広がったこの世界は、皮肉にも、障害がなければ決して見ることのできなかった美しい景色でした。
家族自身が「支援の主役」に戻れた
皮肉なことに、多くの支援を受けるようになったことで、私たちは「息子の世話係」から「本来の親・夫婦」に戻ることができました。身の回りの世話や療育的な訓練の多くをプロに任せることで、私たちは息子と一緒に純粋に遊んだり、将来の夢を語り合ったりする時間を確保できるようになったのです。
「親しかできないこと」に集中できる環境。それは、子どもへの深い愛情を再確認するプロセスでもありました。支援機関は、私から息子を奪うのではなく、私に「豊かな親子関係」を返してくれたのです。私たちは今、誰かの力を借りながら、胸を張って自分たちの人生の主役として生きています。
| 支援のフェーズ | 家族の状態 | 得られた救い |
|---|---|---|
| 導入前(孤立期) | 心身の限界、自己否定 | なし(自分たちで抱え込み) |
| 導入初期(受容期) | 戸惑い、安堵 | 専門知による特性理解、休息の確保 |
| 導入中期(連携期) | 安定、未来への展望 | 多機関チームによる支援、心理的安全 |
| 現在(共生期) | 自律、コミュニティ参画 | 自分らしい人生の再開、仲間との繋がり |
よくある質問(FAQ):支援機関を利用する際のためらいについて
支援機関を利用したいけれど、まだ一歩を踏み出せない方からよく聞かれる質問に、私の経験からお答えします。
Q1. 相談に行ったら「障害者」と決めつけられるようで怖いです。
そのお気持ち、痛いほどよくわかります。しかし、診断や認定は、お子さんやご家族にレッテルを貼るためではなく、「適切なサービスを受けるためのパスポート」を手に入れるための手続きに過ぎません。名前がつくことで、初めて開く扉がたくさんあります。障害名がその子のすべてを決めるわけではありません。むしろ、その子の個性をより深く理解するための補助線だと考えてみてください。
Q2. 支援を受けることで、親としてのプライドが傷つきそうです。
「自分の子どもを自分で育てられない」と感じてしまうのですね。でも、現代社会において、障害の有無にかかわらず、一人で子どもを育てることは不可能です。ましてや、特別な支援が必要な場合、プロの手を借りるのは当然のことです。「人を頼る力(受援力)」は、大人の素晴らしい能力の一つです。誰かを頼る姿を子どもに見せることは、「困ったときは人を頼っていいんだよ」という最高のお手本になります。
Q3. どこに相談すればいいのか、種類が多すぎてわかりません。
まずは、お住まいの自治体の「障害福祉課」や「発達障害者支援センター」の窓口へ行ってみてください。そこが「総合案内所」のような役割を果たしてくれます。自分たちの状況を話せば、適切な機関(相談支援事業所やデイサービスなど)を紹介してくれます。「どこがいいかわからないので、教えてください」。その一言からすべてが始まります。完璧に調べてから行く必要はありません。
まとめ:明日へのアクション、そして新しい景色へ
支援機関と繋がる前、私の世界は灰色でした。しかし今は、多種多様な色が溢れています。息子は相変わらず個性的ですが、彼を囲む多くの温かい「手」のおかげで、私たちは明日が来るのを怖がらなくなりました。支援機関は、私たちに「制度」を提供してくれただけでなく、「家族で笑い合ってもいいんだ」という許可をくれたのです。今、もしあなたが一人で苦しんでいるなら、どうかその手を伸ばしてみてください。
光は、あなたが扉を開けるのを待っています。支援機関を利用することは、特別なことではありません。それは、愛する家族を、そして何よりあなた自身を守るための、最も勇気ある、そして最も愛に満ちた行動なのです。あなたの小舟が、これ以上荒波に翻弄されず、穏やかな港を見つけられることを、私は心から願っています。世界は、あなたが思っているよりも、ずっとあなたに味方したがっているのですから。
次にとるべきアクション
この記事を読み終えたあなたに、今日、あるいは明日、試してみてほしいアクションがあります。どれか一つで構いません。
- 地域の「発達障害者支援センター」の電話番号をスマホに登録する: 電話をかけるのは後日でも構いません。いつでも繋がれる準備をするだけで、心が少し軽くなります。
- 「今の困りごと」をノートに一つだけ書き出す: 頭の中にあるモヤモヤを文字にするだけで、それは客観的な「課題」に変わります。
- 役所のホームページで「障害福祉ガイドブック」を見てみる: どのような支援があるのかをざっと眺めるだけで、選択肢があることを実感できます。
一歩踏み出したその先に、新しい、そして優しい景色が広がっていることをお約束します。
まとめ
- 支援機関は「自分を責める呪縛」から解放し、障害を客観的な「対処可能な課題」に変えてくれる。
- 多機関連携によって形成される「支援チーム」は、家族の孤立を防ぎ、心理的な安全地帯を構築する。
- レスパイト(休息)を積極的に取り入れることで、親の心のコップを満たし、本来の豊かな親子関係を再構築できる。

鈴木 美咲
(すずき みさき)42歳📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員
相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。
社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。
もっと詳しく▼
💭 福祉の道を選んだ理由
大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。
✨ 印象に残っている出来事
孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。
✍️ 記事を書く上で大切にしていること
実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。
🎨 趣味・特技
ヨガ、カフェ巡り
🔍 最近気になっているテーマ
ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア





