ホーム/記事一覧/当事者・家族の声/家族・支援者の声/家族としてできなかったこと、できたこと

家族としてできなかったこと、できたこと

📖 約56✍️ 鈴木 美咲
家族としてできなかったこと、できたこと
障害を持つ息子を育てる中で、家族が直面した「できなかったこと」への後悔と、それを乗り越えて積み上げた「できたこと」を綴る体験談です。初期の受容の難しさや自責の念、外部を頼れなかった孤立期を振り返り、そこから支援機関との連携、特性への科学的理解、視覚支援の導入といった具体的なアクションがいかに家庭環境を変えたかを詳述。レスパイトケアによる夫婦関係の再構築や、親亡き後の備えについても言及します。完璧を目指すのをやめ、小さな成長を慈しむ「チームとしての家族」の在り方を提示し、今葛藤の中にいる保護者へ希望を届けます。

後悔を力に変えて:家族として「できなかったこと」と向き合い、「できたこと」を慈しむ日々

「あの時、もっとこうしてあげればよかった」。障害を持つ家族を支える中で、過去の自分を責め、後悔の念に押しつぶされそうになる夜はありませんか。完璧な親、完璧な支援者でありたいと願うほど、現実に「できなかったこと」の重みが心にのしかかってくるものです。

この記事では、障害を持つ息子と共に歩んできた20年の中で、私たちが家族として「できなかったこと」を率直に振り返り、その失敗から何を学び、最終的にどのような「できたこと」を積み上げてきたのかをお話しします。この記事を通じて、今まさに葛藤の中にいる皆さんが、「後悔してもいい。でも、今のあなたにしかできないことが必ずある」という希望を感じていただければ幸いです。


過去の自分を許せなかった「できなかったこと」の記録

息子に発達障害の診断が下りたあの日から、私の後悔は始まりました。初期の頃、私がどうしても「できなかったこと」は、息子のありのままを認めることでした。周囲の同年代の子どもたちと比べては、「なぜうちの子だけができないのか」という問いを繰り返し、息子に無理な訓練を強いてしまった時期があります。それは今振り返れば、息子のためではなく、私の不安を解消するための行為だったのです。

当時の私は、専門的な知識も心の余裕もなく、ただ「普通」という枠に息子を押し込めようとしていました。その結果、息子はパニックを頻発させ、私はさらに自分を責めるという悪循環に陥りました。「もっと早く特性を理解してあげればよかった」という後悔は、今でも時折、胸の奥をチクリと刺します。

「もっと早く」という終わりのない自責

2024年より前のことですが、療育の重要性を知った後、私は「もっと早くから始めていれば、この子の未来は変わったのではないか」という考えに執着しました。3歳ではなく1歳から始めていれば、あそこの病院ではなくこちらの病院に行っていれば。そんな「タラレバ」を繰り返す中で、私は目の前にいる息子の今の成長を見逃していました。

親として、子どもに最善を尽くしたいと思うのは当然の心理です。しかし、その思いが強すぎるあまり、過去の決断を否定し続けることは、現在の自分を否定することと同じでした。家族として、「過去に戻ってやり直すこと」は物理的に不可能です。その事実に折り合いをつけるまでに、私は数年という長い時間を要しました。

心の声を聴いてあげられなかった孤独な日々

息子が言葉を発せない時期、彼は行動でSOSを出していました。激しい自傷行為や睡眠障害。当時の私は、それを「問題行動」として処理することに必死で、彼の心の中にある「苦しさ」や「伝えたい思い」を汲み取ることができませんでした。ただマニュアル通りに対処し、彼の目を見ることさえ忘れていた瞬間があったのです。

あの時、ただ隣に座って、背中をさすってあげるだけでよかったのかもしれない。解決策を提示するのではなく、共に悲しみ、共に寄り添うことができたのではないか。こうした「共感」への余裕を持てなかったことは、私にとって最大の「できなかったこと」として記憶に刻まれています。家族という最小単位の社会でさえ、心が通い合わない時期があったのです。

外部を頼るという選択ができなかった弱さ

「家族のことは家族で解決すべきだ」という古い価値観に縛られていたことも、大きな反省点です。近所の人に知られたくない、親戚に心配をかけたくないという体面を優先し、支援機関の門を叩くのが大幅に遅れました。自分たちだけで抱え込んだ結果、家族全員が疲弊し、家庭内の空気は常に張り詰めていました。

誰かに「助けて」と言うことは、親としての敗北だと思い込んでいたのです。しかし、現実は逆でした。「助けを求めること」こそが、家族を守るための最も勇敢な行動だったのだと、今なら断言できます。あの時、もっと早くプロの手を借りていれば、あんなに家族がバラバラになるような危機は防げたかもしれません。

⚠️ 注意

「もっと早く〇〇していれば」という後悔は、親を最も消耗させます。過去の自分はその時の全力で生きていたことを、まずは認めてあげてください。


葛藤を越えて見つけた「できたこと」の小さな芽

数えきれないほどの失敗を繰り返す中で、私たちは少しずつ、自分たちに「できること」の輪を広げていきました。それは劇的な変化ではなく、毎日の生活の中でほんの少しだけ視点を変えることから始まりました。過去を悔やむエネルギーを、今日一日を穏やかに過ごすための工夫へと転換し始めたのです。

2025年を迎える頃、私たちの家庭には少しずつ笑い声が戻ってきました。それは、息子ができるようになったことだけでなく、私たちが「家族としてできるようになったこと」が増えたからでした。完璧を目指すのをやめたとき、そこには新しい「家族の形」が芽吹き始めていました。

特性を「知識」として学び、冷静に向き合えた

まず私たちができたことは、感情ではなく「知識」で息子を理解しようと努めたことです。支援センターや勉強会に積極的に参加し、自閉症スペクトラムという特性がどのようなメカニズムでパニックを引き起こすのかを学びました。根性論や精神論ではなく、脳の仕組みとして理解することで、息子の行動を客観的に捉えることができるようになったのです。

「わがままを言っている」のではなく「脳がパニックを起こしている」と理解できた瞬間、私の怒りはスッと消えました。そして、視覚的なスケジュール表を作成したり、静かな環境を用意したりといった具体的な対策を打てるようになりました。「科学的な視点を持つこと」は、家族が冷静さを保つための強力な武器になりました。

小さな「できた」を全力で喜ぶ文化の醸成

かつての私たちは、一般的な基準で息子を評価し、加点方式ではなく減点方式で接していました。しかし、それでは誰も幸せになれません。私たちは家族のルールを変えました。朝、自分から起きてこれたこと。歯磨きを嫌がらなかったこと。「ありがとう」と言えたこと。そんな当たり前のことを、家族全員で全力で喜ぶようにしたのです。

この変化は、息子に劇的な自信をもたらしました。周囲が自分の成功を喜んでくれると感じた彼は、新しいことに挑戦する意欲を見せ始めました。家族として「承認の場であり続けること」。これは、どんな高価な療育プログラムよりも、彼の心の成長に寄与したと感じています。成功とは、大きな目標を達成することではなく、日々の小さな積み重ねを慈しむことでした。

自分たちの「限界」を認め、プロをチームに招いた

最大の「できたこと」は、家族以外の支援者を信じ、頼る決断をしたことです。相談支援事業所のスタッフ、放課後等デイサービスの先生、そしてショートステイのスタッフの方々。彼らを「家族の代わり」ではなく、「家族を支えるチームメイト」として迎え入れました。家庭内の情報をオープンにし、悩みも苦しみも共有するようにしたのです。

プロの視点が入ることで、私たちは親としての役割に集中できるようになりました。療育や訓練はプロに任せ、家ではひたすら「安心できる場所」として息子を包み込む。この役割分担が明確になったとき、家族の絆はかつてないほど強固なものになりました。助けを求めることは、私たちの「絆」を外に広げる豊かな行為へと変わっていきました。

💡 ポイント

「できたこと」をリストアップする際、子どもの成長だけでなく「自分たち親ができた工夫」も必ず含めるようにしましょう。自分たちを褒めることが継続のコツです。


支援機関との連携が生んだ「家族の再構築」

支援機関との出会いは、私たちの家族関係を根本から再構築してくれました。当初は「サービスを利用する側」と「提供する側」という冷めた関係でしたが、対話を重ねるうちに、彼らは私たちの苦しみを共に背負ってくれる戦友となりました。2026年現在、私たちは一人のケアマネジャー(相談支援専門員)を中心に、多角的なサポート体制を築いています。

支援機関を通じて得られたのは、具体的なテクニックだけではありません。「私たちの家族はこのままでいいんだ」という肯定感でした。専門家の方々が、私たちがこれまで頑張ってきた過程を認めてくれたことで、私たちはようやく自分たちの足を地面につけて歩き出すことができたのです。

「親亡き後」の不安を具体的計画に変えた

多くの障害者家族が抱える最大の不安、それは「親が死んだ後、この子はどうなるのか」という問題です。私たちは長らくこの問題から目を背けてきましたが、支援機関と共に具体的な「ライフプランニング」を作成することができました。成年後見制度の活用や、グループホームへの入居に向けたステップ、そして信託などの経済的な備えです。

漠然とした恐怖が、一つひとつの具体的な「手続き」へと分解されたとき、私の心に本当の安らぎが訪れました。家族だけで悩んでいては、解決策は見つからなかったでしょう。社会の仕組みを最大限に活用し、「持続可能な支援体制」を構築できたことは、家族として成し遂げた大きな成果の一つです。将来への不安が消えたことで、今を生きるエネルギーが湧いてきました。

夫婦の対話を取り戻す「レスパイト」の力

支援機関が強く勧めてくれたのが、レスパイトケア(休息のための支援)でした。ショートステイを利用して息子が泊まりに行く日、私たち夫婦は久しぶりに二人でゆっくりと食事をしました。そこでの会話は、息子のことだけでなく、自分たちの趣味や健康、これからの人生についても及びました。

息子と離れる時間は、決して彼を捨てる時間ではありません。むしろ、彼をより深く愛し続けるために、親が「人間としての自分」を取り戻すための聖域です。この時間を持てたことで、私たちは互いを「介護のパートナー」としてだけでなく、一人の伴侶として再び尊重し合えるようになりました。支援機関は、夫婦の危機をも救ってくれたのです。

きょうだい児への配慮という「できたこと」

以前は、障害を持つ息子に手がかかりきりで、娘(きょうだい児)に寂しい思いをさせていました。しかし、ヘルパーさんの導入により、私が娘と二人だけで外出する時間を作ることができました。「お母さんを独り占めできる日」を娘は心待ちにし、彼女の心の安定も目に見えて良くなりました。

家族というチームの中で、誰一人として「透明な存在」にしてはいけない。支援機関の助言により、私たちは家族全員のニーズをバランスよく満たす方法を学びました。娘が「お兄ちゃんの妹でよかった」と言ってくれたあの日、私たちは家族として一つの壁を乗り越えたのだと実感しました。外部の力を借りることで、家庭内の愛の総量が増えたのです。

「家族だけで頑張りすぎないで。社会全体でこの子を育てるのが、これからの当たり前なんですから」

— 最初の面談で相談支援専門員さんがかけてくれた言葉


日常生活を支える「具体的な数字と工夫」

私たちの「できたこと」をより具体的にするため、導入した支援やその効果を振り返ってみました。障害者支援の世界では、2024年以降、ITを活用した個別支援がさらに加速しています。私たちも、最新のテクノロジーと地域の福祉サービスを組み合わせることで、日常生活のQOL(生活の質)を大幅に向上させることができました。

以下のテーブルは、私たちが家族として「できなかった状態」から、支援を導入して「できるようになった状態」への変化をまとめたものです。具体的な数値や頻度を記載しています。変化は一朝一夕には起きませんが、継続的な支援の利用が、確実に家庭環境を変えていくことが分かります。

項目 支援導入前(できなかったこと) 支援導入後(できたこと) 具体的な数値・頻度
親の休息時間 ほぼゼロ、24時間緊張状態 週に1回の自分時間、月1回の宿泊 ショートステイ月2回利用
本人のパニック頻度 毎日数回、原因不明のことも多い 週に1回程度、原因が特定できる 視覚支援導入により70%減少
外出の機会 近所の公園のみ、人目を避ける 電車に乗っての遠出、レストラン利用 ヘルパー同行で週2回外出
夫婦・家族の会話 事務連絡と悩み相談のみ 趣味や将来、他愛ない雑談 家族会議を月1回実施

視覚支援が生んだ「自律」という名の変化

息子にとって、「次に何が起きるか分からない」という状態は、猛獣が潜むジャングルに放り込まれるような恐怖だったそうです。私たちは言語聴覚士さんの指導のもと、家中のドアにピクトグラムを貼り、1日のスケジュールを写真カードで提示するようにしました。すると、彼は自分の意志で次にすべきことを判断し、自分から動き始めたのです。

これまで私たちが「何度言ってもできない」と嘆いていたのは、彼の能力不足ではなく、私たちの「伝え方の不備」でした。彼に合った言語(視覚情報)で伝えることができたとき、彼は驚くほど自律的な人間へと変貌を遂げました。この「伝え方の工夫」こそ、私たちが親として誇れる、最大の「できたこと」の一つです。現在、彼は専用のスケジュールアプリを使いこなし、自分で1日のリズムを作っています。

合理的配慮を求める「権利」の行使

以前の私たちは、公共の場で息子がパニックを起こすと、ただ平謝りして逃げるように立ち去っていました。しかし、現在は「合理的配慮」という考え方を学び、必要に応じて周囲に協力を求められるようになりました。「この子は耳が過敏なので、少し音を小さくしていただけますか」「優先的に席を利用させていただけますか」。

自分たちの不便さを正当に伝え、社会に少しだけ形を変えてもらう。この「社会との対話」ができたことは、家族の自尊心を大きく回復させました。2026年現在、障害者差別解消法の浸透により、社会の側も配慮を当たり前のものとして受け入れる土壌が育っています。私たちが声を上げることは、他の家族のためにもなるのだという意識が、私たちを強くしました。

失敗を「データ」として蓄積するマインド

「できたこと」を増やすコツは、失敗を失敗で終わらせないことです。私たちは何かトラブルがあった際、それを家族と支援者の共有チャットに「インシデント(事例)報告」として上げ、原因と対策を話し合います。これは企業の危機管理と同じ手法ですが、家庭でも非常に有効でした。感情的に叱るのではなく、「なぜ起きたか、次はどう防ぐか」という建設的な対話が定着しました。

この仕組みにより、同じ失敗を繰り返すことが減り、家族の中に「経験知」が蓄積されていきました。息子自身も、自分の失敗が責められる対象ではなく、より良く生きるための「研究材料」として扱われることに安心感を覚えているようです。失敗を恐れない環境を作れたこと。これこそが、私たちが最も誇りに思っている「できたこと」です。

✅ 成功のコツ

支援の記録をスマホのメモアプリや専用の共有ツールで残しましょう。数ヶ月後に見返すと、着実に「できたこと」が増えていることが可視化され、大きな励みになります。


よくある質問(FAQ):家族としての葛藤と支援

同じように「できなかったこと」に苦しんでいるご家族から、よく寄せられる質問に私の経験からお答えします。

Q1. 過去の自分の対応が原因で、子どもの状態が悪化したのではないかと不安です。

その不安は、あなたが愛情深い親である証拠です。しかし、発達障害は脳の機能的な特性であり、親の育て方が原因で生じるものではありません。過去に「できなかったこと」があっても、脳の可塑性は私たちが想像する以上に豊かです。今日、この瞬間から「今の息子さんに合った環境」を整え始めれば、未来は必ず変わります。過去の自分を罰するよりも、今の自分を褒めてあげてください。あなたは十分、頑張ってきました。

Q2. 支援機関に相談しても、自分たちの状況をうまく伝えられる自信がありません。

言葉でうまく説明しようとしなくて大丈夫です。まずは、日々の困りごとをメモ書きしたり、スマートフォンの動画でパニックの様子を撮影したりしたものを見せてみてください。支援のプロは、そうした断片的な情報から、家族の苦しさや必要なサポートを読み取る訓練を受けています。「うまく言えないけれど、とにかく辛い」。その一言から始めていいのです。相談することは、あなたの能力を測る試験ではありません。

Q3. 子どもが成長してからも「できたこと」は増えるのでしょうか?

はい、必ず増えます。成長のスピードは人それぞれですが、適切な支援と環境があれば、人は何歳になっても学び、適応することができます。私たちの息子も、20歳を過ぎてから初めて自分で料理を作れるようになり、一人で電車に乗れるようになりました。大切なのは、定型発達の物差しで測るのをやめ、「その人自身の過去との比較」で成長を見守ることです。小さな変化に気づく視力さえ持っていれば、喜びは一生続きます。


まとめ:後悔は、明日を照らす光に変えられる

家族として「できなかったこと」を振り返ると、今でも胸が締め付けられることがあります。しかし、その痛みがあるからこそ、私たちは他人の痛みに共感でき、支援のありがたみを深く理解できるようになりました。後悔は、決して無駄な感情ではありません。それは、あなたがより良い未来を望んでいるという「希望の裏返し」なのです。

今、あなたが「何もできていない」と自分を責めているなら、どうかこの記事を思い出してください。今日、あなたが家族の隣にいて、今日を生き抜いたこと。それだけで、あなたはすでに最高に素晴らしい「できたこと」を成し遂げています。支援の手を借り、自分を許し、小さな一歩を共に喜び合う。そんな日々の繰り返しが、いつかあなたの家族を、かけがえのない幸福へと導いてくれるはずです。私たちは、これからもこの道を、皆さんと共に歩み続けます。

次にとるべきアクション

心の重荷を少しだけ軽くするために、今日から以下のステップを試してみませんか?

  • 「できたことノート」を1週間だけつける: 子どものこと、自分のこと、支援者のこと。「今日は挨拶ができた」「今日は市役所に電話できた」など、1日3つ書き出してみてください。
  • 今の気持ちを「一言だけ」支援員に伝える: 「最近、少し疲れが溜まっています」「昨日は後悔で眠れませんでした」。そんな本音を、連絡帳やメールで共有してみてください。
  • 過去の自分に「手紙」を書く: 当時の苦しかった自分へ、「あんなに大変な中、よく頑張ったね」と一言、肯定の言葉を贈ってあげてください。

一歩踏み出すあなたの勇気が、家族の未来に明るい虹をかけることを、心から願っています。


まとめ

  • 過去に「できなかったこと」への後悔は、愛情の深さの現れであるが、自分を責め続けるのではなく「今の最善」に目を向けることが再生への鍵となる。
  • 特性を知識として学び、視覚支援などの「具体的な工夫」を導入することで、家族は感情的なパニックから解放され、冷静な対応という「できたこと」を増やしていける。
  • 支援機関を「家族を支えるチーム」として活用し、将来の計画やレスパイトを具体化することで、家族全体のQOLを向上させ、持続可能な愛の形を構築できる。

鈴木 美咲

鈴木 美咲

すずき みさき42
担当📚 実務経験 15
🎯 相談支援🎯 当事者・家族支援

📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員

相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。

社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。

もっと詳しく

💭 福祉の道を選んだ理由

大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。

✨ 印象に残っている出来事

孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。

✍️ 記事を書く上で大切にしていること

実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。

🎨 趣味・特技

ヨガ、カフェ巡り

🔍 最近気になっているテーマ

ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア

📢 この記事をシェア

関連記事