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迷いながらでも前に進めば、必ず光が見える——私の実体験

📖 約54✍️ 鈴木 美咲
迷いながらでも前に進めば、必ず光が見える——私の実体験
発達障害と知的障害を持つ息子の育児を通じて、著者が経験した葛藤と再生の物語です。診断当初の絶望や「普通」への執着が家庭崩壊の危機を招くも、ありのままの姿を受け入れる「諦め」の境地に至ったことで好転。視覚支援や感覚過敏への配慮といった具体的な環境調整の有効性、そして相談支援専門員や親の会といった外部の繋がりがもたらす安心感を詳述します。障害を「克服」するのではなく、特性と共に生き、日常の中の小さな光(成長)を喜び合うことの大切さを伝え、今、不安の中にいる家族へ温かなエールを送る内容です。

立ち止まる勇気と、光を信じる心:障害を持つ家族と歩んだ十数年の軌跡

「この先の人生、ずっと真っ暗なトンネルが続くのではないか」。大切な家族が障害の診断を受けたとき、あるいは日々のサポートの中で限界を感じたとき、誰もが一度はそんな絶望に近い不安を抱くものです。私自身、発達障害と知的障害を併せ持つ息子の育児を通じて、何度も立ち止まり、出口のない迷路を彷徨っているような感覚に陥ってきました。

しかし、十数年が経過した今、確信を持って言えることがあります。それは、「迷いながらでも、一歩ずつ前に進めば必ず光が見える」ということです。この記事では、私が家族として経験した葛藤や失敗、そして光を見つけるきっかけとなった具体的な考え方や支援の活用法を詳しくお伝えします。今、暗闇の中にいると感じているあなたへ、この記事が小さな希望の種になることを願っています。


青天の霹靂から始まった「模索」の日々

息子に最初の異変を感じたのは、彼が2歳を過ぎた頃でした。言葉が出ない、目が合わない、そして何より激しいパニック。周囲の子どもたちが楽しそうに公園で遊ぶ中、息子は砂場の端でひたすら砂をこぼし続けていました。その光景を見て、私は胸が締め付けられるような思いで「なぜ、うちの子だけ」と問いかけていました。

3歳で下された「自閉スペクトラム症(ASD)」と「中等度知的障害」の診断。それは、私の人生設計が音を立てて崩れ去った瞬間でした。当時は「障害を克服させること」こそが親の使命だと信じ込み、ありとあらゆる療育や民間療法に奔走しました。しかし、頑張れば頑張るほど息子は荒れ、私は疲れ果て、家庭内の笑顔は消えていきました。

「普通」への執着が生んだ地獄

診断直後の私は、息子を「普通」の枠に無理やり押し込もうとしていました。ハサミが使えない、お箸が持てない、静かに座っていられない。それらの「できないこと」を数えては、夜な夜なネットで改善策を検索する毎日。私は息子という一人の人間を見ていたのではなく、「障害という問題」を解決しようとしていたのです。

その執着は、息子にとって大きなプレッシャーとなりました。言葉でうまく伝えられない彼は、自傷行為や激しいパニックで、私への抵抗を示しました。ある日、パニックで泣き叫ぶ息子を抱きしめながら、私も一緒に泣きました。「ごめんね、辛かったよね」。その時、初めて自分のエゴが息子を追い詰めていたことに気づきました。光は、まず「諦める」ことから始まったのです。

「諦める」は「明らかに見る」こと

「諦める」という言葉にはネガティブな印象がありますが、語源には「物事を明らかにする」という意味があるそうです。私は、息子を普通にすることを諦めました。代わりに、ありのままの息子を「明らかに見る」努力を始めました。彼が何に笑い、何に怯え、何に安心するのか。それを一つずつ観察することから、再出発したのです。

すると、不思議なことに世界が違って見え始めました。言葉はなくても、彼は空の青さに感動し、特定の音楽に耳を傾けて穏やかな表情を見せます。彼なりの豊かな世界がそこにあることを、私は初めて知ったのです。「できないこと」を探す減点方式の育児から、彼がそこに生きていることを喜ぶ加点方式の生活へ。この意識の転換が、トンネルの先に微かな光を灯しました。

支援者に心を開くまでの葛藤

当初、私は外部の支援を受けることに強い抵抗がありました。「家族の問題は家族で解決すべきだ」「他人に息子の何がわかるのか」という頑固な思い込みがあったからです。しかし、24時間365日のワンオペ育児は、私の精神を確実に蝕んでいきました。ある日、区役所の福祉担当者から「お母さん、少し休みましょう」と言われたとき、私は糸が切れたように泣き崩れました。

それがきっかけで、ショートステイや放課後等デイサービスの利用を始めました。最初こそ罪悪感でいっぱいでしたが、スタッフの方々がプロの視点で息子を褒め、伸ばしてくれる姿を見て、「一人で育てなくていいんだ」という安心感を得ることができました。家族以外に息子を理解し、愛してくれる人がいる。その事実は、私にとって何よりの救いとなりました。

💡 ポイント

「諦める」とは、投げ出すことではありません。理想と現実のギャップを正しく認識し、ありのままの姿を「明らかに見る」ための、ポジティブな第一歩です。


環境を整えることで見えてきた「変化」

意識が変わると、次に取り組んだのは「環境の調整」でした。自閉症の特性を持つ息子にとって、世界は非常に情報が多く、整理されていない不安な場所でした。私は彼の混乱を減らすために、自宅の環境を徹底的に「視覚化」しました。2025年現在、デジタルツールの進化により、これらの工夫は以前よりも格段に楽に行えるようになっています。

環境を整えることは、息子に「安心」を与えることと同義でした。安心感は情緒の安定を生み、情緒が安定すると、彼は驚くほどの成長を見せ始めました。それまではパニックでしかなかった外出も、適切な準備と環境設定によって、家族の楽しい思い出に変えることができるようになったのです。

視覚支援がもたらした自立の芽

「次は何をするのか」が見えない不安を解消するため、写真カードを使ったスケジュールボードを作りました。朝起きてから寝るまでの流れを視覚的に示すことで、息子は「次は顔を洗う」「次は着替える」といった行動を、私に指示される前に自分で始めるようになりました。「自分で選んで動ける」という感覚は、彼の自信に直結しました。

また、家の中の配置も工夫しました。おもちゃの箱には中身の写真を貼り、服の引き出しには「シャツ」「ズボン」のマークをつけました。情報のノイズを減らし、どこに何があるかを明確にすることで、彼の「できない」が「できる」に変わっていったのです。環境を整えることは、彼の能力を最大限に引き出すための魔法のような力がありました。

感覚過敏への具体的なアプローチ

息子には激しい「聴覚過敏」がありました。掃除機の音や、突然のサイレン、あるいはスーパーの賑やかな BGM さえも、彼にとっては爆音の嵐でした。そこで、外出時にはノイズキャンセリングヘッドホンを装着させるようにしました。これだけで、それまで拒否していた場所へもスムーズに行けるようになったのです。

「道具を頼る」ことは、甘えではありません。目が悪い人が眼鏡をかけるように、感覚過敏がある人がイヤーマフを使うのは当然の権利です。こうした合理的配慮を日常生活に取り入れることで、彼の世界は一気に広がりました。今では、耳からの情報を遮断することで、視覚的な美しさにより集中できるようになったのか、絵を描くことに夢中になっています。

「こだわり」を強みに変える挑戦

自閉症特有の「こだわり」は、かつての私にとって悩みの種でした。同じ道を通りたがる、特定のロゴマークに執着する……。しかし、そのこだわりを「排除すべきもの」ではなく「彼のエネルギー源」として捉え直しました。ロゴマークが好きなら、それをパズルのように並べて遊ぶ。同じ道を通るなら、その道にある看板を数えて数を覚える。

彼の興味を否定せず、そこから学びや遊びを広げていくことで、こだわりは「強み」へと昇華されました。現在の彼は、驚異的な記憶力で電車の時刻表を覚え、周囲を驚かせています。この「得意なこと」があるという事実は、彼の自己肯定感を大きく支えています。こだわりを愛することが、彼を愛することに繋がったのです。

✅ 成功のコツ

環境調整の基本は「本人が困っていることは何か」を観察すること。言葉で訴えられない特性がある場合、その「行動」が最大のメッセージです。


社会と繋がる:家族だけで抱え込まない勇気

障害児を育てる家庭は、往々にして孤立しがちです。「迷惑をかけてはいけない」「理解されないだろう」という思いから、自らシャッターを下ろしてしまうこともあります。しかし、光が見える場所は、常に「社会との接点」の中にありました。私は勇気を出して、一歩ずつ外の世界へ助けを求めに行くことにしました。

厚生労働省の2024年発表データによると、障害児通所支援の利用者数は年々増加しており、地域社会での支援体制は確実に拡充されています。私はこうした制度を「活用させていただく」という姿勢から、積極的に関わるようにしました。その過程で出会った支援者や他の保護者の方々は、私の人生においてかけがえのない財産となりました。

相談支援専門員という「伴走者」

最初に出会った相談支援専門員の方は、私の話を何時間も聞いてくれました。「お母さん、今のままでも十分素晴らしいですよ」という言葉に、どれほど救われたかわかりません。彼女は制度の紹介だけでなく、私の心のケアも含めて、文字通り「伴走者」として寄り添ってくれました。

サービス等利用計画を作成する過程で、家族の将来像を一緒に描く。これにより、「今」だけでなく「未来」に希望を持てるようになりました。一人で悩むと視野が狭くなりますが、専門家の視点が入ることで、「こんな解決策もあるんだ」という新しい発見が次々と生まれました。支援を受けることは、自立への近道でした。

親の会で見つけた「仲間」という存在

地元の「親の会」への参加も、大きな転機でした。そこには、私と同じように悩み、涙し、そして笑っている先輩ママたちがいました。「うちも昔はそうだったよ」「そのパニックにはこれが効くよ」といった、教科書には載っていない「生きた知恵」の宝庫でした。何より、説明しなくても分かり合える仲間がいることは、何物にも代えがたい安心感でした。

「家族の障害をオープンにする」ことは、決して恥ずかしいことではありません。むしろ、オープンにすることで「助けてくれる人」が寄ってきてくれるようになります。親の会で出会った仲間たちとは、今でも励まし合いながら、時には愚痴をこぼし合いながら、共に前を向いています。孤独を脱ぎ捨てることで、光はより鮮明になりました。

学校や地域との信頼関係づくり

特別支援学校に通うようになってから、先生方との密な連携が始まりました。連絡帳を通じて、家での様子と学校での様子を共有する。できないことを共有するだけでなく、小さな「できた!」を一緒に喜ぶ。この「喜びの共有」が、最強のサポートチームを作りました。

また、近所の方々にも折に触れて障害のことを伝えました。「大きな声を出すことがあるかもしれませんが、驚かないでくださいね」と笑顔で挨拶する。すると、「いつも頑張ってるね」「何かあったら言ってね」と、温かい言葉が返ってくるようになりました。地域という大きな輪の中で、息子は見守られながら育っています。世界は、思っている以上に優しい場所でした。

「助けて、と言える力。それが、障害を持つ家族にとって最も大切なスキルかもしれません」

— 支援員さんから贈られた言葉


「光」は日常の些細な瞬間にある

「いつか光が見える」と言われても、それは何年も先の遠い目標のように思えるかもしれません。しかし、実際に体験して分かったのは、光とは巨大なスポットライトのようなものではなく、「日常に散りばめられた小さな煌めき」の集積であるということです。劇的な奇跡を待つのではなく、足元の小さな変化を喜べる感性を磨くことが、幸せへの近道でした。

十数年前、パニックで一歩も外に出られなかった息子が、今では一人で近くのパン屋に買い物に行けるようになりました。それは世間から見れば小さなことかもしれませんが、私たち家族にとっては、ヒマラヤ登頂にも匹敵する偉業です。そうした小さな光を一つずつ拾い集めていくことが、人生を明るく照らすのだと学びました。

初めて「ありがとう」と言われた日

息子が10歳を過ぎた頃、私が風邪で寝込んでいると、彼がコップに水を入れて持ってきてくれました。そして、たどたどしい言葉で「ママ、ありがとう」と言ったのです。障害の特性から、他者の感情を理解するのが難しいと言われていた彼が、私の不調を察し、感謝の言葉を口にした。その瞬間、私のこれまでの苦労はすべて報われた気がしました。

成長は非連続的です。昨日までできなかったことが、今日突然できるようになる。そんな奇跡のような瞬間に立ち会えるのは、障害を持つ子の家族だけの特権かもしれません。その「光の瞬間」を逃さず、心に刻むこと。それが、次にやってくるかもしれない困難を乗り越えるための、何よりのエネルギーになります。

家族の絆が再構築されたプロセス

障害という大きな課題に直面したことで、夫婦関係も大きく揺れました。一時期は離婚の危機もありましたが、共に息子の支援について悩み、話し合いを重ねる中で、以前よりも深い信頼関係を築くことができました。「共通の目的」を持つことが、私たちを本当の意味でのパートナーにしてくれたのです。

障害があるから不幸なのではなく、障害があってもなくても、どう向き合うかで幸福が決まる。夫とそう話せるようになったとき、私たちの家庭には本当の平和が訪れました。息子が運んできてくれたのは、苦労だけではありませんでした。人を慈しみ、許し、支え合うという、人生で最も大切な教えを、彼はその存在をもって教えてくれたのです。

「自分自身の人生」を取り戻すこと

長らく、私の人生は「息子のケア」で埋め尽くされていました。しかし、あるとき気づいたのです。私が幸せでないと、息子も幸せになれないのではないか、と。私は勇気を出して、自分の趣味や仕事を再開しました。息子を預けて友人とランチに行き、好きな本を読む時間を確保するようにしたのです。

「お母さんが笑っている」ことが、息子にとって最大の安心材料でした。私が自分の人生を楽しみ始めると、不思議と息子の情緒もより安定していきました。光は、息子の方だけでなく、私自身の心の中にもあったのです。家族のために自己犠牲を続けるのではなく、自分を大切にすること。それが、家族全体を照らす光を強くする秘訣でした。現在は、自分のような経験を持つ家族を支援するボランティア活動にも携わっています。

段階 心の状態 変化のきっかけ
診断初期 絶望、否認、孤立 「普通」を諦め、ありのままを認める
中期 模索、疲弊、怒り 外部の支援を受け入れ、環境を整える
現在 受容、平穏、感謝 小さな成長を喜び、自分の人生も楽しむ


よくある質問(FAQ):迷いの渦中にいる方へ

家族会の相談会や、SNSなどで頻繁に寄せられる切実な悩みにお答えします。

Q1. 毎日が辛すぎて、子どもを可愛いと思えません。最低な親でしょうか?

そう思うのは、あなたが「一生懸命に向き合っている証拠」です。可愛いと思えないほど疲弊している自分を、まずは許してあげてください。それは愛情不足ではなく、単なるエネルギー切れです。そんなときは、一刻も早く物理的に子どもと離れる時間を作ってください。ショートステイや預かりサービスを利用して、まずは自分自身の心身を回復させることが最優先です。元気が戻れば、自然と愛おしさを感じる瞬間がまたやってきます。

Q2. 将来、私が死んだ後のことが心配で不安になります。

その不安は、障害児を持つすべての親に共通するものです。2026年現在、成年後見制度や障害者グループホーム、地域生活支援拠点の整備が進んでいます。私たちが今できることは、「親がいなくても回る仕組み」を少しずつ構築していくことです。相談支援専門員とライフプランを共有し、早いうちから様々な施設やサービスに慣れさせておく。一人で背負わず、社会全体で支える準備を進めていきましょう。

Q3. 周囲の理解が得られず、心無い言葉に傷ついています。

残念ながら、すべての人に理解してもらうのは不可能です。心無い言葉を吐く人は、単に「知らない」だけか、その人自身が満たされていない場合がほとんどです。そんな人の言葉に、あなたの貴重な心を差し出す必要はありません。「この人とは住んでいる世界が違うんだ」と割り切り、心のシャッターを静かに下ろしましょう。その代わりに、あなたと息子を理解し、尊重してくれる温かい人たちの言葉だけを大切に選んで、心に溜めていってください。


まとめ:今日から一歩、光の方へ進むために

振り返れば、私の歩んできた道は決して平坦ではありませんでした。迷い、立ち止まり、時には後退しているように感じる日もありました。でも、その一つ一つの「迷い」が、今の私を形作る大切なプロセスでした。障害という特性は消えませんが、それと共に生きる術を学び、小さな光を喜び合えるようになった今、私たちの人生は以前よりも深く、彩り豊かなものになっています。

今、もしあなたが真っ暗なトンネルの中にいるとしても、どうか忘れないでください。あなたの歩んでいる道は、決して間違いではありません。迷っているのは、あなたが一生懸命に生きている証拠です。そして、その道の先には、必ずあなたとご家族だけの光が待っています。今日という日を無事に終えられた自分を、まずは精一杯褒めてあげてください。明日は今日よりも、ほんの少しだけ、温かい光が見えるはずです。

次にとるべきアクション

心を少しでも軽くし、光を見つけるために、今日からできるアクションをご提案します。

  • 「今日できたこと」を3つだけ書き出す: 「朝ごはんを食べた」「洗濯をした」「子どもの目を見た」。どんなに些細なことでも、それは立派な実績です。
  • 支援窓口に一本の電話をする、またはメールを送る: 「ちょっと疲れたので、話を聞いてほしい」と言うだけでも、風穴が開きます。
  • 自分のための「ご褒美」を一つ用意する: 好きなチョコを食べる、15分だけお気に入りの動画を見る。自分を労う時間を、何よりも優先してください。

あなたは一人ではありません。一緒に、光の方へ歩んでいきましょう。


まとめ

  • 「普通」への執着を手放し、ありのままの特性を「明らかに見る」ことが、絶望から希望へと変わる大きな転換点になる。
  • 家庭内の環境を「視覚化」し、感覚過敏への適切なツールを活用することで、本人の安心感と自立の心を育むことができる。
  • 家族だけで抱え込まず、外部の支援者や仲間の輪に飛び込む勇気を持つことで、孤独という最大の障害を乗り越えられる。

鈴木 美咲

鈴木 美咲

すずき みさき42
担当📚 実務経験 15
🎯 相談支援🎯 当事者・家族支援

📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員

相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。

社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。

もっと詳しく

💭 福祉の道を選んだ理由

大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。

✨ 印象に残っている出来事

孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。

✍️ 記事を書く上で大切にしていること

実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。

🎨 趣味・特技

ヨガ、カフェ巡り

🔍 最近気になっているテーマ

ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア

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