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障害を受け入れられなかった私が前を向けるようになるまで

📖 約63✍️ 鈴木 美咲
障害を受け入れられなかった私が前を向けるようになるまで
ある日突然の身体障害により、自尊心を失い絶望の淵にいた当事者が、いかにして「前を向けるようになったか」を綴った実録体験談です。現実を拒絶した「暗黒の日々」から、諦めることの真意を見出し、ピアサポーターや家族との関わり、公的制度の活用を通じて、自身のアイデンティティを再編集していく過程を詳細に描きます。強引なポジティブシンキングではなく、不自由な自分を「許す」ことの大切さを説き、今まさに苦しんでいる当事者やその家族へ、新しい人生の物語を始めるための具体的で温かいエールを届けます。

失われた日常と向き合う:絶望の淵から光を見つけるまでの対話

ある日突然、あるいは徐々に、自分の身体が以前のように動かなくなる。その事実を突きつけられたとき、すぐに「前向きになろう」と思える人は、そう多くはありません。私自身もそうでした。かつて当たり前にできていたことができなくなり、鏡に映る自分を見るたびに、言葉にできない喪失感と憤りを感じていた時期が長くありました。

「なぜ自分だけが」「あんなに健康だったのに」。そんな問いを繰り返しても答えは出ず、暗い部屋で一人、社会から取り残されたような孤独感に苛まれている方もいらっしゃるかもしれません。この記事では、障害を全く受け入れられず絶望していた私が、どのようなプロセスを経て、今の不自由な身体と共に新しい人生を歩めるようになったのかをお話しします。無理に前を向く必要はありません。あなたの今の苦しみに寄り添いながら、ゆっくりと語りかけていければと思います。


否認と怒りに支配された「暗黒の日々」

障害を負った直後の私は、絵に描いたような「否認」の状態にありました。医師からの診断結果を聞いても、「何かの間違いだ」「最新の治療法を試せば、明日には治っているはずだ」と、現実を拒絶し続けていました。朝起きて足が動かない感触を確かめるたびに、それが夢ではないことを突きつけられ、心は激しく摩耗していきました。

否認の次は、やり場のない「怒り」が押し寄せました。優しく声をかけてくれる家族に対し、「お前に何がわかるんだ!」と八つ当たりをし、リハビリスタッフの励ましさえも、自分を憐れんでいるかのように感じて不愉快でした。この時期の私は、「障害者になった自分」を認めることが、これまでの人生の全否定であるかのように思い込んでいたのです。

鏡を見ることを拒絶した時期

車椅子に座っている自分や、以前とは違う歩き方をする自分を直視することができませんでした。街中のショーウィンドウに映る自分のシルエットを見るたびに、激しい自己嫌悪に陥りました。以前の私は、健康で活発で、何でも一人でこなせる自負がありました。その像が崩れ去ったとき、自分の価値もゼロになったような錯覚に陥ったのです。

外出を一切やめ、友人からの連絡も無視し続けました。幸福そうに見える他人のSNSを見るのが苦痛で、スマートフォンの電源を切って部屋に閉じこもる日々。今思えば、それは「自分の心を守るための防衛反応」だったのだと思います。あまりにも大きすぎるショックを処理しきれず、心を一時的にシャットダウンさせていたのでしょう。

他者との比較が生む「終わりのない苦しみ」

「あの人はあんなに元気なのに、なぜ私だけ」「あいつより私の方が真面目に生きてきたはずなのに」。そんな比較ばかりを繰り返していました。公正世界仮説、つまり「善い行いをすれば良い結果が返ってくる」という考え方が、自分自身の首を絞めていました。不条理な出来事が自分の身に起きたことを、到底許せなかったのです。

しかし、他人と比較している限り、幸福の基準は常に「外側」に置かれます。これは出口のない迷路を彷徨うようなものです。当時の私に必要だったのは、強引なポジティブシンキングではなく、「今の惨めな自分を、まずは惨めなまま認めてもいい」という、自分自身への許可だったのかもしれません。怒り狂う私を、家族が黙って見守ってくれたことが、後の変化への静かな土壌となりました。

リハビリを「無駄な抵抗」だと感じた瞬間

リハビリテーションは、機能回復のための希望であるはずですが、当時の私には「自分が壊れていることを証明する儀式」のように思えました。ほんの数センチ指を動かす練習、立ち上がるだけの練習。それらがあまりに地味で、以前の自分との落差を際立たせるだけのように感じ、何度も投げ出しました。

「こんなことをして何になる」「元の身体に戻らないなら意味がない」。そんな極端な思考が支配していました。リハビリ室で見かける他の当事者たちが、笑顔で会話をしているのを見て、さらに孤独が深まりました。彼らがその笑顔を手に入れるまでに、どれほどの涙を流したのか、当時の私には想像する余裕さえなかったのです。心は完全に「閉ざされた要塞」となっていました。

⚠️ 注意

心が極限まで疲弊しているときは、リハビリや社会復帰を一時的に休むことも立派な選択です。まずは睡眠と休息を優先し、エネルギーを蓄えることを大切にしてください。


絶望の底で起きた「小さな変化」の兆し

何もかもを諦め、無気力に過ごしていたある日、ふとした瞬間に心境の変化が訪れました。それは劇的な開眼ではなく、コップの水が表面張力を超えて溢れ出すような、静かで確実な変化でした。ある統計によると、障害の受容には平均して5年から10年かかるとも言われています。私もまた、長い時間をかけて自分の痛みと付き合い、ようやく底を打ったのでした。

きっかけは、本当に些細なことでした。窓辺に置かれた観葉植物に、新しい芽が出ていたこと。あるいは、家族が淹れてくれたお茶の香りが、いつもより心地よく感じられたこと。自分の身体以外のところに目を向け始めたとき、私の心に少しずつ隙間が生まれ始めました。「失ったもの」ばかりを数えていた視点が、わずかに「今ここにあるもの」へと移り始めたのです。

「諦める」という言葉の新しい意味

日本語の「あきらめる」という言葉には、仏教用語で「明らかに究める(見極める)」という意味があることを知りました。それまでの私は、諦めることを「敗北」だと思っていました。しかし、今の自分の状態を冷静に見極め、「できないことは、できない」と認めることは、実は非常に前向きなエネルギーを必要とする行為なのです。

「元の身体に戻る」という執着を一度手放し、「今の不自由な身体で、どうやって楽しく生きるか」というフェーズに移行し始めました。これは逃げではなく、現実に基づいた戦略的な転換です。この日を境に、リハビリの見え方も変わりました。それは「元に戻るための努力」ではなく、「新しい自分を使いこなすための練習」へと進化したのです。

ピアサポーターとの運命的な出会い

病院の待合室で、同じ障害を持ちながらアクティブに活動している「ピアサポーター(当事者支援者)」の男性と話す機会がありました。彼は自分の不自由さを隠すことなく、ユーモアを交えて語ってくれました。「不便だけど、不幸じゃないよ」。その言葉は、どんな高名な医師の言葉よりも深く私の心に刺さりました。

彼もまた、数年間は死ぬことばかり考えていたと告白してくれました。その暗闇を知っている人が、今こうして笑っている。その事実に、私は「自分にも可能性があるかもしれない」という微かな希望を見出しました。当事者同士の繋がりは、孤独という毒に対する最も強力な解毒剤になります。一人の力では超えられない壁も、誰かの轍があれば、少しだけ乗り越えやすく感じられるのです。

「助けて」と言えるようになった強さ

これまでの私は、人に頼ることを「弱さ」や「恥」だと思っていました。しかし、車椅子生活を送る中で、一人でできないことに直面せざるを得ません。最初は屈辱的でしたが、勇気を出して「すみません、手伝ってください」と言ったとき、周囲の人が驚くほど自然に、温かく手を貸してくれることを知りました。

助けを借りることは、自立を捨てることではありません。むしろ、「適切に依存先を増やすこと」こそが、真の自立を支える土台になります。自分の限界を認め、他者の善意を素直に受け入れる。このコミュニケーションの循環が生まれることで、社会との断絶が埋まっていきました。私はもはや一人で戦う孤独な兵士ではなく、多くの支えの中で生きる一人の人間になれたのです。

💡 ポイント

同じ悩みを持つ仲間の集まり(患者会や自助グループ)に参加してみるのも良いでしょう。話すだけで心が軽くなる「カタルシス効果」を実感できるはずです。


自分という物語を「再編集」する作業

障害を受け入れるとは、自分自身のアイデンティティを再構築する作業です。以前の私は「走ることが得意な自分」「仕事でバリバリ稼ぐ自分」という物語を生きていました。その物語が破綻した後、私は新しい物語の「作者」になる必要がありました。障害という属性を、物語の「結末」にするのではなく、「新しい章の始まり」として捉え直すことにしたのです。

具体的には、自分が今できること、興味があることをノートに書き出しました。身体は不自由になっても、思考や感性、これまでの経験は失われていません。むしろ、障害という視点を得たことで、これまで気づかなかった他人の痛みや、社会の不備に敏感になれました。この「新しい感性」を活かして、何か新しい価値を生み出せるのではないかと、ワクワクする気持ちが芽生え始めたのです。

道具を「相棒」として愛着を持つ

最初は忌み嫌っていた車椅子や装具に対し、少しずつ愛着を持つように工夫しました。車椅子のフレームを自分の好きな色にカスタマイズしたり、スタイリッシュな車椅子バッグを新調したりしました。これらは単なる「福祉用具」ではなく、私の移動を可能にする「自由への翼」なのだと再定義したのです。

身の回りの道具を自分らしく彩ることで、鏡に映る自分の姿が少しずつ「かっこいい」と思えるようになってきました。メガネをかけるように、車椅子に乗る。それは私の欠点を補うものではなく、私という個性を際立たせるアイテムになりました。道具との信頼関係が深まるにつれ、外出への心理的なハードルも劇的に下がっていきました。

小さな「できた」をカレンダーに記録する

大きな目標(例えば、歩けるようになること)ばかりを見ていると、変化のなさに絶望します。そこで私は、毎日の小さな成功を記録することにしました。「一人で着替えができた」「新しいカフェに行けた」「5分長くリハビリができた」。こうした「小さな勝利の積み重ね」を可視化することで、自分の成長を実感できるようになりました。

1年前のカレンダーを見返すと、当時は不可能だと思っていたことが、今は当たり前にできていることに気づきます。成長の速度は亀の歩みかもしれませんが、止まってはいません。この「着実な前進」の感覚が、折れそうになる心を支えてくれる最高のガソリンになりました。自分自身の最も厳しい批判者ではなく、最も優しい応援団員になることを決めたのです。

「新しい趣味」への挑戦が拓いた世界

身体の制限により、以前の趣味を続けるのが難しい場合もあります。私はスポーツを諦めましたが、その代わりに「パラスポーツ」や「デジタルアート」に挑戦しました。特にパソコンを使ったクリエイティブな活動は、身体の不自由さを全く感じさせない自由な空間でした。オンラインで作品を公開すると、誰も私を「障害者」としてではなく、一人の「作者」として評価してくれました。

この経験は、私の自己肯定感を大きく回復させました。社会との接点は、物理的な移動だけではありません。「表現すること」を通じて、世界と繋がることができる。新しい扉を叩く勇気が、私の人生に新しい色彩を連れてきてくれました。障害は確かに私の生活を制限しましたが、同時に、以前の私なら出会わなかった世界への招待状でもあったのです。

✅ 成功のコツ

「以前の自分」と比べるのをやめ、「昨日の自分」と比べるようにしましょう。わずかな変化を全力で喜ぶことが、前向きな心を維持する秘訣です。


制度とサポートを「賢く使いこなす」自律性

前を向けるようになったもう一つの大きな要因は、自分の置かれた状況を法的な面や経済的な面から整理し、使えるサポートを「戦略的に」利用し始めたことです。不自由さを根性でカバーしようとするのは限界があります。制度を「自分の人生を豊かにするためのインフラ」として捉え、積極的に活用することで、精神的な余裕が生まれました。

日本では、身体障害者手帳の交付を受けることで、さまざまなサービスを受けることができます。私は当初、手帳を持つことに抵抗がありましたが、実際に交付を受けてみると、経済的な負担が減るだけでなく、社会全体が「あなたの生活を支えますよ」というメッセージを送ってくれているように感じ、心強さを覚えました。制度を使いこなすことは、自立への重要なステップです。

身体障害者手帳と「社会的なパスポート」

身体障害者手帳は、単なる証明書ではなく、社会の中で快適に過ごすための「パスポート」です。医療費の助成、公共交通機関の割引、税金の控除など、具体的なメリットは多岐にわたります。これにより、リハビリや通院にかかるコストが抑えられ、その分を自分の趣味や新しい挑戦に回すことができるようになりました。

また、障害者手帳を提示することで、公共施設やレジャー施設で優先的な案内を受けられることもあります。これを「特権」としてではなく、「移動や行動のハンディキャップを埋めるための調整」として正当に享受する。こうした「受容」の形があることを知り、私の外出はより堂々としたものへと変わっていきました。

自立支援医療と将来の安心設計

障害を抱え続ける中で、将来の医療費に対する不安は常に付きまといます。私は「自立支援医療(じりつしえんいりょう)」という制度を知り、申請しました。これにより、障害の維持・改善に必要な医療費の自己負担が原則1割に軽減されました。家計への圧迫が減ることで、将来への過度な不安が取り除かれました。

経済的な安心感は、心の安定に直結します。「お金がないからリハビリを続けられない」「治療を受けられない」という恐怖から解放されたことで、私は「今をどう生きるか」に集中できるようになりました。制度について調べるのは骨が折れる作業ですが、地域の相談支援員やソーシャルワーカーを頼り、一つずつ整理していくことをお勧めします。

就労移行支援と「働く喜び」の再発見

再び社会の役に立ちたいという願いを叶えるために、私は「就労移行支援(しゅうろういこうしえん)」というサービスを利用しました。ここでは、自分の障害特性に合わせた働き方のトレーニングや、自分に合った企業とのマッチングをサポートしてくれます。かつての私のようにガムシャラに働くのではなく、自分の体調を管理しながら持続可能な形で働く方法を学びました。

支援サービス名 内容・メリット
自立支援医療 指定医療機関での医療費自己負担が原則1割に。継続的な治療が必要な方に最適。
就労移行支援 一般企業への就職を目指すための訓練。PCスキル向上や自己管理術も学べる。
相談支援事業所 福祉サービスの利用計画を作成。生活全般の悩みをワンストップで相談可能。


家族や周囲との「新しい絆」を育む

障害を受け入れられなかった時期、私は家族を傷つけ続けてきました。でも、私が少しずつ前を向き始めると、家族の表情にも明るさが戻ってきました。私が障害を受容するプロセスは、実は家族にとっても「新しい家族の形を受容するプロセス」だったのです。今は、以前よりもずっと深く、そして対等な関係を築けていると感じています。

以前の私は、自分が家族を守らなければならない、弱音を吐いてはいけないと思い込んでいました。しかし、今の私は自分の弱さをさらし、家族に支えられ、そして私もまた別の形で家族を支えています。「完璧な自分」である必要はない。今のままの、不自由な私でも愛されているという実感こそが、私が前を向くための最大のエネルギー源です。

「言葉」にすることの大切さ

察してもらうことを期待せず、自分の気持ちを言葉にすることに決めました。「今日は身体が辛いから静かにしていたい」「ここは手伝ってほしいけれど、ここは自分でやりたい」。自分の境界線を明確に伝えることで、家族との摩擦が劇的に減りました。家族もまた、どう接すればいいか分からず戸惑っていたのだと気づいたからです。

コミュニケーションを密にすることで、障害は「家族の共通の課題」になりました。私のために何かをしてもらうことを申し訳なく思うのではなく、「ありがとう」と笑顔で返すこと。それが、家族に対する最高の恩返しになると信じています。私たちは、障害という試練を通じて、以前よりもずっと強固な信頼関係を手に入れることができました。

支援者との「チーム」としての意識

ケアマネジャーやヘルパー、リハビリスタッフ。私の周りには多くの支援者がいます。以前は彼らを「自分の面倒を見る人」としてどこか疎ましく思っていましたが、今は「私の人生をより良くするためのチームメイト」だと思っています。彼らにはプロとしての知見があり、私には当事者としての感覚があります。

お互いの専門性を持ち寄り、「どうすれば私の生活がもっと楽しくなるか」を議論する時間は、非常に前向きでクリエイティブです。支援を受けることは、自立を奪われることではなく、「自立の質を高めるための投資」です。心を開いて彼らをチームに招き入れたとき、私の生活の可能性は無限に広がっていきました。社会は温かく、私たちの味方で溢れています。

友人と「ありのまま」で再会する勇気

音信不通にしていた友人たちに、勇気を出して連絡をしました。ありのままの自分の現状を伝え、「会いたいけれど、少し緊張している」と正直な気持ちを添えて。彼らは驚くほど変わらず、私の不自由さをことさら強調することもなく、以前と同じように笑い飛ばしてくれました。その普通さが、どれほど嬉しかったことか。

障害は私の生活を変えましたが、私という人間の本質、つまり「友情」や「愛」までは壊していませんでした。友人と笑い合う時間は、自分が「障害者」である前に「一人の友人」であることを思い出させてくれます。社会との繋がりを絶たなくて良かった。心からそう思える瞬間が、今の私を支える確かな手応えとなっています。

⚠️ 注意

周囲との交流で疲れを感じたら、すぐに一人になれる時間を作りましょう。心のキャパシティには限りがあります。適度な距離感を保つことが、長く良い関係を築くコツです。


よくある質問(FAQ):障害受容への道のり

障害を受け入れる過程で、多くの方が抱く悩みや疑問について、私なりの答えをまとめました。

質問 回答・アドバイス
「前向きにならなきゃ」と思うほど苦しくなります。 無理に前を向こうとする必要はありません。今は「後ろ向きな自分」をそのまま受け入れてあげてください。泣きたいときは全力で泣くことが、次へのステップになります。
周囲の視線が気になって、外出が怖いです。 自意識の過剰は誰にでもあるものです。まずは夜の散歩や、車で行ける静かな場所から慣らしていきましょう。徐々に「自分自身が慣れる」ことが、他人の目を気にならなくさせます。
障害を受容できたと思っても、また落ち込む日があります。 受容は一直線ではありません。3歩進んで2歩下がるような、螺旋階段のようなものです。落ち込む日があるのは、あなたが今の人生に真剣に向き合っている証拠です。
家族に迷惑をかけている自分が許せません。 家族は「迷惑」だと思っているでしょうか? 多くの家族は、あなたの存在そのものを愛しています。頼られることで喜びを感じる人もいます。甘える勇気を持ってください。


まとめ:今日から始まる「新しい物語」の序章

障害を受け入れるということは、不自由な自分を「好きになる」ことではありません。不自由な自分を「これでもいいか」と許し、共存していくことです。私の物語は、以前の自分への弔いから始まり、絶望の淵を彷徨い、そして新しい自分への祝福へと続いてきました。今の私は、以前の私よりもずっと脆いかもしれませんが、同時に、以前よりもずっと深く、優しく、そしてしなやかな強さを持っていると自負しています。

もしあなたが今、暗闇の中にいるなら、無理に歩き出そうとしなくて大丈夫です。まずはそこで呼吸を整え、自分の心の声を聞いてあげてください。いつか、ほんの少しだけ「外の空気を吸ってみたい」と思えたとき、そこには新しい世界が広がっています。不自由な身体と共に生きる人生は、確かに困難もありますが、それ以上に深い感動と出会いに満ちています。あなたの「新しい物語」が、今日この瞬間から、静かに、そして美しく始まることを、私は心から信じています。

次にとるべきアクション

前を向くための、小さな一歩を提案します。

  • 今の素直な気持ちを紙に書き出してみる: 怒り、悲しみ、不安。どんな汚い言葉でも構いません。吐き出すことで、心にスペースが生まれます。
  • 同じ障害を持つ人のブログやSNSを見てみる: 「自分だけではない」という感覚は、孤独を癒やす最大の特効薬です。共感できる人を見つけてみましょう。
  • 鏡に向かって「今日まで生きていて偉い」と言ってみる: あなたは今日まで、本当に頑張ってきました。まずは自分自身を、誰よりも褒めてあげてください。

あなたは一人ではありません。この瞬間も、世界中で多くの仲間が、あなたと同じように葛藤し、そして再び立ち上がろうとしています。焦らず、ゆっくりと、あなただけのペースで進んでいきましょう。


まとめ

  • 障害受容は一直線ではなく、「否認・怒り・悲しみ」を経て螺旋階段のように進んでいくものである。
  • 「できないこと」を認め、新しい自分を使いこなすための練習を始めることが、真の自立に繋がる。
  • 公的制度やピアサポート、家族の支えを戦略的に活用し、社会との新しい絆を構築する。

鈴木 美咲

鈴木 美咲

すずき みさき42
担当📚 実務経験 15
🎯 相談支援🎯 当事者・家族支援

📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員

相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。

社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。

もっと詳しく

💭 福祉の道を選んだ理由

大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。

✨ 印象に残っている出来事

孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。

✍️ 記事を書く上で大切にしていること

実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。

🎨 趣味・特技

ヨガ、カフェ巡り

🔍 最近気になっているテーマ

ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア

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