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子どもの障害に気づいた日——親として揺れた気持ち

📖 約55✍️ 鈴木 美咲
子どもの障害に気づいた日——親として揺れた気持ち
子どもの発達に違和感を抱き、葛藤を経て発達障害(ASD)の診断を受け入れるまでの、母親のリアルな心理的プロセスを描いた体験談です。検索の迷宮に陥り自責の念に駆られた暗黒時代から、診断名という「解説書」を得ることで視点が変わり、ポジティブな支援へと踏み出す軌跡を詳述。感情の書き出しやマインドフルネスといった親のセルフケア、相談支援専門員や親の会といった外部連携の重要性を説きます。今、不安の渦中にいる保護者へ、「一人で抱え込まなくていい」というメッセージと、今日からできる具体的なアクションを提案する内容です。

雨上がりの空を見上げて:子どもの障害と向き合い始めたあの日の記憶

「もしかして、うちの子だけ周りと違う?」そんな小さな違和感が、胸の中で大きな不安に変わっていく瞬間。子育てをしている親にとって、これほどまでに孤独で、足元が崩れるような感覚を覚えることはありません。昨日まで描いていた未来の景色が、一瞬にして霧に包まれてしまったかのような戸惑い。それは、決してあなた一人が抱えているものではないのです。

この記事では、私の息子が発達障害の診断を受けるまでの揺れ動く心の軌跡と、その葛藤をいかにして乗り越えていったかをお話しします。2026年現在、多様な支援の形が広まっていますが、親の心の震えはいつの時代も変わりません。この記事を読むことで、「不安になってもいいんだ」という許可をご自身に出し、次の一歩を少しだけ軽やかに踏み出すヒントを見つけていただければ幸いです。


日常に忍び寄る「静かな違和感」の正体

息子が2歳を過ぎた頃、私は言いようのない違和感を抱き始めました。公園に行っても他の子と遊ぼうとせず、ひたすら並べたミニカーのタイヤを回し続ける姿。名前を呼んでも振り返らず、指差しもしない。それまでの育児書に書かれていた「標準的な発達」の目安から、息子は少しずつ、でも確実に外れていきました。

当時の私は、その違和感を必死に打ち消そうとしていました。「男の子は成長が遅いって言うし」「個性的なだけだよ」。そう自分に言い聞かせ、夜な夜なインターネットの検索窓に「2歳 喋らない」「自閉症 特徴」といった言葉を打ち込んでは、自分に都合の良い情報を探しては安堵し、また不安になる。そんな「検索の迷宮」に迷い込んでいたのです。

検診の待ち時間という孤独な空間

1歳6ヶ月検診や3歳児検診の会場は、当時の私にとって最も過酷な場所でした。待合室で元気に走り回り、お母さんとおしゃべりをする同い年の子どもたち。一方で、私の膝の上で無表情に指をいじり続ける息子。周囲の何気ない笑い声が、鋭い刃物のように私の心を切り裂きました。

保健師さんの「何か困っていることはありますか?」という優しい問いかけに対しても、私は「いえ、特にありません」と嘘をつきました。障害を認めてしまったら、今の生活がすべて壊れてしまうような気がして、「正常な親」を演じ続けることに必死だったのです。帰り道、夕暮れの公園で一人泣いたあの日を、今でも昨日のことのように思い出します。

「育て方」を責める自責の念

言葉が出ないのは、私がもっと話しかけてあげなかったからだろうか。パニックを起こすのは、私が厳しくしつけすぎたからだろうか。あるいは、甘やかしすぎたのだろうか。私はあらゆる原因を自分自身の「母親としての資質」に結びつけ、自分を激しく責め立てました。

親族から「もっと外に連れ出さないからだ」と言われれば、無理やり公園へ連れて行き、息子がパニックになればさらに落ち込む。「自分のせい」という重荷は、私の心を確実に蝕んでいきました。しかし、後に専門家から学んだのは、発達障害は脳の特性であり、親の育て方や愛情不足とは一切関係がないという科学的な事実でした。当時の自分に、そのことを伝えて抱きしめてあげたい思いです。

夫との温度差に苦しんだ夜

家庭内での孤独もまた、大きな苦しみでした。私が不安を訴えても、仕事で忙しい夫は「考えすぎだよ」「そのうち喋るようになる」と一蹴するばかり。同じ屋根の下に暮らしながら、見えている世界が全く違うことに絶望を感じました。夫は息子を信じているのではなく、「現実を見たくない」だけではないか。そんな疑念が夫婦の間に深い溝を作っていきました。

ある夜、激しい口論の末に私は叫びました。「あなたが思っている以上に、私はこの子と二人きりで戦っているの!」。その言葉に夫も沈黙し、私たちは互いに背を向けて眠りました。家族がチームになれないことが、何よりも辛いことでした。今振り返れば、夫もまた、自分なりのやり方でショックから心を守ろうとしていたのだと分かりますが、当時の私にはそんな余裕はありませんでした。

💡 ポイント

親が違和感を抱くのは「愛情」があるからです。自分を責めるのではなく、「この子のために何かしたい」と思っている自分のエネルギーを認めてあげましょう。


診断名という「重荷」と「解放」

3歳を過ぎた春、意を決して専門病院を受診しました。数ヶ月の待機期間を経て行われた発達検査。そして医師から告げられたのは、「自閉スペクトラム症(ASD)」という診断名でした。その瞬間、頭の中が真っ白になり、医師の言葉が遠くの方で鳴っているような感覚に陥りました。

診断名がつくことは、息子に「障害者」というレッテルを貼ることのように感じられ、深い悲しみに襲われました。しかし同時に、どこか心の片隅で「ホッとした自分」がいたのも事実です。ああ、私が悪かったんじゃない。息子が怠けていたのでもない。この子には、この子なりの理由があったんだ。それは、長い暗闇から一筋の光が見えた瞬間でもありました。

病院の帰り道に見た新しい景色

病院を出たとき、いつもの街並みが以前とは違って見えました。診断名がついたからといって、目の前にいる息子自身が何か変わったわけではありません。彼は相変わらず、道端のマンホールの模様をじっと眺めて楽しそうにしています。変わったのは、私の「視点」だけでした。

「どうして喋らないの?」という問いが、「どうすれば伝えやすくなるかな?」という具体的な課題に変わりました。診断名は、私たちを縛る鎖ではなく、息子という謎を解き明かすための「解説書」のタイトルだったのです。その日から、私は息子の「できないこと」を嘆くのをやめ、「どう支えるか」を考えるフェーズへと移行し始めました。

「告知」を誰にどこまで伝えるか

診断を受けて最初に向き合ったのは、周囲への報告でした。両親、親戚、そしてママ友。どこまでオープンにするべきか、非常に悩みました。「同情されたくない」「偏見の目で見られたくない」という思いが強く、最初は誰にも言えずにいました。しかし、隠し続けることは自分自身をさらに追い詰めることになりました。

意を決して、最も信頼できる友人に打ち明けたとき、彼女は「そうだったんだ。頑張ってきたね」とだけ言ってくれました。その一言で、私は世界から拒絶されていないことを実感しました。「伝える相手を選ぶ」ことは大切ですが、一人でも味方を作ることが、これほどまでに心を強くするのかと驚きました。少しずつ、自分のペースで外の世界と繋がりを取り戻していきました。

専門家の言葉に救われた瞬間

療育センターの心理士さんがかけてくれた言葉が、私の「親としての自信」を取り戻してくれました。「お母さん、診断は終わりではなく始まりです。そして、お母さんが息子のために動いた今日という日は、彼の人生で最も価値のある日ですよ」。それまで私は、息子を「障害者にしてしまった」と悔やんでいました。

しかし専門家の目から見れば、私は「早期発見・早期支援」に繋げた、非常に勇敢で思慮深い親だったのです。同じ事実でも、捉え方一つでこれほどまでに救われる。自分一人で抱え込まず、プロの言葉を借りることの重要性を痛感しました。私はようやく、息子の「障害」ではなく「個性」と「可能性」に向き合う準備ができたのです。

✅ 成功のコツ

診断名は「解説書」です。名前がついたことで、利用できる福祉サービスや療育のプログラムが一気に具体化します。それを「武器」として活用しましょう。


葛藤を乗り越えるための「感情の整理術」

診断を受け入れた後も、心は一本道ではありませんでした。昨日前向きになれたと思ったら、今日は些細なことで激しく落ち込む。そんな三歩進んで二歩下がるような毎日です。発達障害児の親が経験するこの心理状態は、しばしば「喪失の受容プロセス」に例えられます。健常児として描いていた未来を一度手放し、新しい未来を描き直す作業には、大きなエネルギーが必要なのです。

私がこの激しい感情の波を乗り越えるために実践したのは、自分自身のケアを最優先することでした。2026年現在は「ケアラー支援」の重要性が社会的に認知されていますが、当時は「親が自分のために時間を使うなんて」という罪悪感が強かった時代です。しかし、親が倒れては支援は続きません。私が取り組んだ具体的な「心のメンテナンス」をご紹介します。

「感情の書き出し」が心のデトックスに

誰にも言えないドロドロとした感情、情けない思い、息子へのイライラ。私はそれらをすべて一冊のノートに書きなぐりました。文字にすることで、自分の心を客観的に見つめることができました。「ああ、私は今、将来が不安で怖がっているんだな」と気づくだけで、不思議と波立った心が静まっていくのを感じました。

ノートは誰に見せるものでもありません。美辞麗句はいりません。「自分の感情を否定しない」場所を持つことが、精神的な安定に大きく寄与しました。このノートは今でも私の宝物です。当時の苦しみが今の私の強さに変わっていることを、開くたびに実感させてくれるからです。感情は、溜め込まずに外に出すことで、毒から力へと変わります。

「5分間のマインドフルネス」で今に帰る

将来の不安(「この子は働けるの?」「結婚できるの?」)に襲われたとき、私は意識的に「今」に集中する練習をしました。5分間だけ、自分の呼吸の音を聞く。あるいは、息子の可愛い寝顔だけを眺める。20年後の心配をするのではなく、今日この子が笑った瞬間、ご飯を一口食べた瞬間にだけスポットライトを当てるのです。

「未来の不安は、今ここには存在しない」。そう自分に言い聞かせることが、パニックに近い不安を鎮める薬になりました。マインドフルネスは、特別な修行ではありません。親として、自分の心を取り戻すための生存戦略でした。この「今」の積み重ねが未来を作るのだと信じられるようになったとき、足元がしっかりとした感覚が戻ってきました。

比較のシャッターを閉める勇気

SNSを開けば、同年代の子どものキラキラした活躍が目に入ります。そのたびに私の心は削られました。そこで私は、意識的にSNSのフォローを外したり、情報のシャッターを下ろしたりすることにしました。他人の庭を眺めて自分の幸せを測るのではなく、息子の小さな変化(「昨日より目が合った」「ボタンが一つ留められた」)だけを喜ぶことに決めたのです。

比較をやめることは、自分自身の「幸せの基準」を取り戻すことでした。「よそはよそ、うちはうち」という、昔からある言葉の重みをこれほど感じたことはありません。息子のペースは、世界の誰とも違う唯一無二のものです。その独自のテンポを愛せるようになったとき、私の心には本当の意味での平穏が訪れました。

「悲しむ時間を自分に許してあげてください。その涙は、あなたが一生懸命に親をやっている証拠です」

— 家族会の先輩ママさんからのアドバイス


支援の輪を広げる:一人で抱え込まない勇気

心が少しずつ落ち着いてきたら、次に取り組んだのは「外の世界と手を繋ぐ」ことでした。かつての私は「家族の問題は家族で解決すべきだ」という強固な思い込みに縛られていましたが、それは大きな間違いでした。発達障害児の育児は、24時間365日のマラソンです。伴走者なしで走り続けることは、プロのアスリートでも不可能です。

2025年版の厚生労働省「障害福祉のしおり」によれば、地域での相談支援体制はかつてないほど充実しています。私は、勇気を出して一歩外へ踏み出し、息子を中心とした「支援チーム」を作ることにしました。それは、私一人の責任を社会に分け持ってもらうプロセスであり、息子に豊かな世界を用意するプロセスでもありました。

相談支援専門員という「最強の味方」

最初に頼ったのは、相談支援事業所でした。担当の相談支援専門員の方は、制度の複雑さに戸惑う私に、利用可能なサービスを丁寧に教えてくれました。放課後等デイサービス、児童発達支援、ショートステイ、ヘルパー利用。これらを組み合わせることで、私の自由な時間(レスパイト)が確保され、笑顔で息子に接することができるようになりました。

専門家が間に入ることで、役所や学校との交渉もスムーズになりました。「お母さんの要望」としてではなく、「本人の特性に必要な合理的配慮」として伝えてもらえる。この安心感は計り知れません。支援を受けることは甘えではなく、自立への近道でした。チームのキャプテンとして、プロの選手たちに指示を出す。そんな感覚で支援を活用し始めました。

「親の会」で見つけた、言葉のいらない理解

地域の「親の会」への参加は、私の孤独を完全に消し去ってくれました。そこには、説明しなくても分かり合える仲間がいました。スーパーでのパニックの話、寝不足の辛さ、親戚からの心無い言葉。それらを笑い話に変えられる強さが、そこにはありました。先輩ママたちの「大丈夫、なんとかなるよ」という言葉は、どんな高名な医師の言葉よりも心に響きました。

「一人じゃない」という実感。これは、障害児を育てる親にとって最大の栄養剤です。子どもがパニックを起こしても、「ああ、これはあそこで聞いたパターンだ」と思えるだけで、対応に余裕が生まれます。知識と経験を共有し、共に泣き、共に笑う。そんなコミュニティに身を置くことで、私は再び「社会の一員」である感覚を取り戻すことができました。

学校との連携:敵ではなくパートナーとして

就学先を決めるとき、私は再び大きな壁にぶつかりました。普通級か、支援級か、支援学校か。悩み抜いた末に私が選んだのは、先生方と密に連携できる支援級でした。学校に対し、「うちの子はこういう特性があります」とまとめた「サポートブック」を持参し、丁寧な説明を繰り返しました。学校を「敵」や「監視役」にするのではなく、「共に成長を見守るパートナー」にしたのです。

先生方も、具体的な対応策を提示することで、前向きに協力してくれました。連絡帳を通じて、家での様子と学校での様子を共有する。この情報の循環が、息子の安定に繋がりました。息子を囲むすべての大人たちが、同じ方向を向いて歩き始めたとき、彼の能力は驚くほど開花していきました。支援の輪は、彼を守るセーフティネットになったのです。

支援機関・ツール 主な役割 得られるメリット
相談支援事業所 サービス利用計画の作成 複雑な制度の活用がスムーズになる
親の会・家族会 情報の共有と心のケア 孤独感が解消され、生きた知恵が得られる
サポートブック 特性や対応策の可視化 関わる人全員で一貫した対応ができる


よくある質問(FAQ):迷える心へのアンサー

診断前後や、これからの生活に不安を感じている方からよく寄せられる質問にお答えします。

Q1. 診断を受けるメリットが分かりません。レッテルを貼るだけでは?

診断はレッテルではなく、「適切な支援への鍵」です。診断名があることで、医療保険の適用や福祉手帳の取得、学校での加配(支援の先生)の配置、放課後等デイサービスの利用が可能になります。また、本人が将来「どうして自分は周りと違うんだろう」と悩んだ時、自分を責めずに「脳の特性なんだ」と納得するための大切な根拠にもなります。レッテルではなく、自分らしく生きるためのガイドラインです。

Q2. 子どもに障害があることを、兄弟(きょうだい児)にどう伝えるべき?

子どもの年齢や理解度に合わせて、段階的に伝えることが大切です。「お兄ちゃんは耳からの情報が苦手で、目で見ることが得意なんだよ」といった、具体的でポジティブな伝え方から始めましょう。大切なのは、きょうだい児に対して「あなたのことも同じくらい(あるいはそれ以上に)大切に思っているよ」と言葉と行動で伝え続けることです。彼らもまた、家族のチームの一員として、自分なりのペースで理解を深めていきます。

Q3. 将来、親がいなくなった後のことが不安で夜も眠れません。

その不安は、障害児の親なら誰もが抱くものです。今できることは、今のうちに「親以外に助けてくれる人」を一人でも多く増やすことです。成年後見制度や信託制度、グループホームの活用など、社会的な仕組みは年々進化しています。20年後のことは、今の自分一人で背負う必要はありません。今、支援の網の目の中にしっかり入っておくこと。それが、将来への最大の備えになります。安心してください、社会は彼を見捨てません。


まとめ:今日から始まる、新しい家族の物語

息子の障害に気づいたあの日の私は、絶望の中にいました。でも、あれから数年が経ち、今の私が見ている景色は、かつて描いていたものよりもずっと豊かで、深い喜びに満ちています。息子のわずかな成長に涙し、小さな笑顔に心底癒やされる。障害は、私たちに「当たり前のことなど何一つない」という、人生で最も大切な教えを授けてくれました。私たちは今、誰とも比べない、自分たちだけの幸せの形を築いています。

今、不安の渦中にいるあなたへ。どうか、自分を責めるのをやめてください。あなたは今日まで、本当によく頑張ってきました。診断名がついても、ついていなくても、目の前にいるお子さんの素晴らしさは一ミリも変わりません。一歩踏み出し、周りを頼り始めたその瞬間から、新しい物語は始まっています。雨上がりの空には、必ず虹がかかります。あなたとご家族の未来を、心から応援しています。

次にとるべきアクション

まずは、頑張っている自分を労うことから始めてください。具体的には以下のアクションをご提案します。

  • 「今日できたこと」を3つだけ書く: 子どものことではなく、自分のことです。「お茶を飲んだ」「深呼吸をした」「この記事を読んだ」。それで十分です。
  • 地域の「発達障害支援センター」を検索する: 電話をかける必要はありません。場所を知るだけで、いざという時のお守りになります。
  • 15分だけ「一人になれる時間」を作る: パートナーや家族に頼んで、カフェに行く、お風呂にゆっくり浸かる。自分の心のカップを満たすことが、支援の第一歩です。

あなたの心が少しでも軽くなり、今日を安らかに眠れることを願っています。


まとめ

  • 親が抱く「違和感」は愛情のサインであり、自分を責める必要はない。障害は育て方のせいではなく、脳の特性である。
  • 診断名は、子どもを縛るレッテルではなく、適切な支援を受け、個性を理解するための「解説書」として活用できる。
  • 一人で抱え込まず、専門家や同じ境遇の仲間、福祉サービスによる「支援チーム」を作ることで、親の心と子どもの可能性を守ることができる。

鈴木 美咲

鈴木 美咲

すずき みさき42
担当📚 実務経験 15
🎯 相談支援🎯 当事者・家族支援

📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員

相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。

社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。

もっと詳しく

💭 福祉の道を選んだ理由

大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。

✨ 印象に残っている出来事

孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。

✍️ 記事を書く上で大切にしていること

実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。

🎨 趣味・特技

ヨガ、カフェ巡り

🔍 最近気になっているテーマ

ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア

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