ホーム/記事一覧/当事者・家族の声/知的障害・難病の体験談/子どもの発達が気になり始めたあの日からの私たちの記録

子どもの発達が気になり始めたあの日からの私たちの記録

📖 約76✍️ 鈴木 美咲
子どもの発達が気になり始めたあの日からの私たちの記録
わが子の発達に違和感を抱いたあの日から、知的障害と希少な進行性難病の告知、そして療育や支援学校での日々を通じた親子成長の記録です。絶望の淵にいた母親が、夫との絆の再生、専門家や同じ境遇の仲間との出会いを通じて、「できないこと」を数える育児から「今ある幸せ」を慈しむマインドセットへと変わっていく過程を詳細に描きます。具体的な生活の工夫、合理的配慮の重要性、地域社会での居場所作り、そして将来への不安への向き合い方を提示。今、告知直後や診断前の不安の中にいる保護者へ、孤独を解消し次の一歩を踏み出すための勇気と具体的なヒントを送ります。

違和感から始まった長い旅の始まり

わが子の成長を願う親にとって、母子手帳にある成長の目安や、公園で出会う同い年の子供たちの姿は、時に大きな心の重荷になることがあります。「うちの子、少し遅れているかも?」という小さな違和感が、いつしか確信へと変わり、夜も眠れないほどの不安に包まれている方も多いのではないでしょうか。

私自身もそうでした。息子が1歳を過ぎた頃から抱き始めた「言葉が出ない」「目が合いにくい」という違和感。それが知的障害と、さらに追い打ちをかけるような難病の告知へと繋がっていったあの日からの記録は、決して平坦な道ではありませんでした。

この記事では、私たちが直面した葛藤や絶望、そしてそこからどのように光を見つけていったのか、具体的なエピソードと共にお伝えします。今、暗闇の中で立ち止まっているあなたが、「一人ではない」と感じ、次の一歩を踏み出すきっかけになれば幸いです。


静かに忍び寄った「違和感」の正体

1歳半検診でのざわめき

息子が1歳を迎えた頃、周囲の子供たちは少しずつ「マンマ」「ワンワン」といった意味のある言葉を発し始めていました。しかし、息子は独特の喃語(なんご)を発するだけで、私の呼びかけに振り向くことも稀でした。当時の私は「男の子だから遅いだけ」と自分に言い聞かせ、必死に不安から目を逸らしていました。

決定的な瞬間は1歳半検診でした。積み木を積む、指差しで意思を伝える。そんな当たり前の動作が息子にはできませんでした。保健師さんからの「少し気になりますね」という言葉。それは、私の心の奥底で薄々気づいていた恐怖を、白日の下にさらす残酷な宣告のように感じられました。

検診の帰り道、ベビーカーを押しながら涙が止まらなかったのを覚えています。同じ会場で楽しそうに笑い合う他の親子と、何かに怯えるような息子の姿。そのコントラストがあまりにも鮮明で、社会から自分たちだけが切り離されたような、言いようのない孤独感に襲われました。

情報の海で溺れる日々

検診以降、私の生活は一変しました。暇さえあればスマートフォンを手に取り、「発語なし 1歳半」「指差ししない」といったキーワードを検索し続けました。検索結果に表示される「自閉症」や「発達障害」という文字を見るたびに、心臓がバクバクと高鳴り、冷や汗が止まりませんでした。

ネット上の掲示板には、希望を持てるエピソードもあれば、絶望を深めるような書き込みもありました。私はその情報の荒波に翻弄され、毎日一喜一憂していました。息子がたまたまバイバイを真似すれば「大丈夫だ!」と喜び、翌日に無反応になれば「やっぱりダメだ」と泣き崩れる。まさに精神的な極限状態でした。

この時期の私は、目の前の息子を愛でる余裕など全くありませんでした。彼を「可愛いわが子」としてではなく、「正常か異常かを見分けるための観察対象」として見てしまっていたのです。今振り返ると、それが何よりも息子を傷つけ、私自身の心を疲弊させていたのだと痛感します。

専門機関への予約と長い待機期間

ようやく地域の療育センターに電話をしましたが、そこで突きつけられたのは「受診まで半年待ち」という現実でした。発達に不安がある親子がこれほどまでに多いという事実に驚くと同時に、何もできない空白の時間が、私をさらに焦らせました。

「この半年で、できることがもっと増えるかもしれない」「それとも、どんどん差が開いてしまうのか」。止まらない思考が、私を睡眠不足へと追い込みました。周囲の親戚からは「考えすぎだよ」という無理解な言葉をかけられ、私は誰にも本音を言えないまま、家庭という密室の中で孤立していきました。

待機期間中、私は独学で絵カードを作ったり、無理やり指差しの練習をさせたりしました。しかし、息子の反応は薄く、私の焦りは強まるばかり。愛情がいつの間にか「矯正したい」という執念に変わっていたのかもしれません。その歪んだ関係性が、その後の大きな爆発を予感させていました。


追い打ちをかけた「難病」の告知

発達の遅れだけではなかった

療育センターに通い始め、ようやく「知的障害」の可能性が濃厚になった頃、別の異変が息子を襲いました。歩き方が不自然になり、頻繁に転ぶようになったのです。当初は「発達がゆっくりだから、体幹が弱いのかな」と考えていましたが、小児科での精密検査の結果、遺伝性の希少な難病であることが判明しました。

知的障害に加え、進行性の身体的な制約まで背負うことになるとは、夢にも思っていませんでした。医師から「今後、筋力の低下が進む可能性があります」と告げられたとき、私は怒りすら感じました。「なぜ、この子ばかりにこんな過酷な運命を背負わせるのか」と。神様などいないのだと、心底絶望した瞬間でした。

診察室を出た後の景色は、まるでモノクロ映画のように色彩を失っていました。これから始まるのは、言葉の支援だけでなく、身体的なリハビリや医療的ケアが必要な生活。私にそんな大役が務まるはずがない。逃げ出したい、消えてしまいたい。そんな自己否定の念が、渦のように私を飲み込んでいきました。

家族の亀裂と再生

病気の告知は、夫婦の関係にも深い亀裂を生みました。私は必死に病気を受け入れようと勉強していましたが、夫は現実を直視できず、「そんなはずはない」と否定し続けました。家庭内の空気は冷え切り、会話は必要最低限の事務連絡だけになりました。息子の存在が、まるで家族を壊す火種のように思えてしまったこともあります。

しかし、ある夜の出来事が私たちを変えました。高熱を出して苦しむ息子を、夫が朝まで抱きかかえ続け、何度も名前を呼んでいたのです。翌朝、夫は涙を流しながら「この子がどんな状態でも、俺たちの息子であることに変わりはないよな。一緒に守っていこう」と言ってくれました。その言葉で、ようやく私たちは一つのチームになれました。

障害や難病は、家族をバラバラにする力も持っていますが、それを乗り越えたとき、何物にも代えがたい強い絆を生むこともあります。私たちは「普通」の幸せは手放したかもしれないけれど、もっと深く、重みのある愛を知ることになったのです。告知から半年が経ち、ようやく私たちは前を向く準備が整いました。

医療・福祉とのつながり

難病の告知以降、私たちの生活には多くの専門家が介在するようになりました。主治医、理学療法士、ケースワーカー。最初は「他人にプライベートを晒す」ことに抵抗がありましたが、彼らの存在は、孤立していた私たちにとって命綱となりました。

特に難病による身体的な配慮については、インターネットの情報よりも、目の前のプロフェッショナルの意見が何倍も信頼できました。息子に合った装具(そうぐ)を作ったり、家庭での介助方法を教わったりする中で、「できないこと」に絶望するのではなく、「どうすれば生活しやすくなるか」を建設的に考える習慣が身についていきました。

医療費の助成制度や、障害児福祉手当の申請についても、福祉課の職員さんに丁寧に教えていただきました。経済的な不安が少しずつ解消されることで、私の心にもわずかな余裕が生まれました。自分たちだけで抱え込まず、社会の力を借りる。それが、難病児育児を生き抜くための最初の知恵でした。

⚠️ 注意

難病の診断や公的制度の申請には、多くの書類や診断書が必要です。精神的に辛い時期にこれらをこなすのは大変ですが、一人で抱えず、ソーシャルワーカーさんに手続きの代行や補助を相談することをお勧めします。


療育という名の「親子成長の場」

「できない」を「できる」に変える魔法

本格的に始まった療育(りょういく)は、私にとって驚きの連続でした。私がどんなに頑張っても教えられなかった「靴を脱ぐ」「コップで水を飲む」といった動作を、療育の先生たちは驚くほどスモールステップで、楽しみながら教えてくれました。

例えば、靴を脱ぐ動作一つをとっても、いきなり全部脱がせるのではなく、「かかとを少し浮かせるだけ」を1週間続け、できたら思い切り褒める。そんな丁寧な積み重ねが、知的障害のある息子には必要だったのです。「できる」という成功体験を積み重ねること。それが、彼自身の意欲を引き出す魔法の鍵でした。

私は自宅でも、先生の真似をして「100点」ではなく「10点」の成長を喜ぶようにしました。昨日より1秒長く目が合った、指先が少し動いた。そんな微細な変化を喜べるようになったとき、息子もまた、私の顔を伺うのではなく、自分から何かに挑戦しようとする笑顔を見せてくれるようになりました。

親自身の心の療育

療育に通って最も救われたのは、実は私自身でした。待合室で出会う他の保護者たちとの会話。そこには、公園のママ友には決して話せなかった本音が溢れていました。「寝顔を見ていると可愛いけど、起きた瞬間に絶望する」「診断名がついたとき、正直ホッとした」。そんな言葉を共有できる仲間が、私には必要でした。

同じ境遇の親同士でなければ分からない、泥臭く、しかし温かい共感の輪。そこで私は、初めて自分の「黒い感情」を肯定することができました。辛いと思っていい、逃げたいと思っていい。そう思えるようになって初めて、私は本当の意味で息子と向き合う活力を取り戻したのです。

療育は子供の訓練の場であると同時に、親が「障害のある子の親」として再教育される場でもあります。先生方がかけてくれた「お母さん、本当によく頑張っていますよ」という言葉に、何度救われたか分かりません。親が孤独から解放されること。それが、子供の成長にとって何よりの特効薬になるのだと実感しました。

個別支援計画の重要性

療育では、半年に一度「個別支援計画(こべつしえんけいかく)」が作成されます。これは、息子の現在の課題と、将来的にどうなりたいかという目標を可視化したものです。これがあることで、私は「今、何を優先すべきか」を迷わずに済むようになりました。

例えば、「発語」を目標にするのではなく、まずは「自分の意思を絵カードで伝える」ことを目標にする。難病による体力の消耗を考え、リハビリは「遊びの延長」として行う。こうしたオーダーメイドの支援が、無理なく息子のペースを守ることに繋がりました。

将来への漠然とした不安を、具体的な「今月の目標」に落とし込む作業。これは、進行性の病気を抱える家族にとって、心の安定を保つための非常に重要なプロセスです。ゴールが見えないマラソンを走るのではなく、次の電柱まで走る。その繰り返しが、私たちを今日まで繋いでくれました。

支援の種類 具体的な内容 期待できる効果
作業療法(OT) 手先の動作や食事の訓練 身の回りの自立支援
理学療法(PT) 筋力維持や正しい姿勢の保持 難病による機能低下の抑制
言語聴覚療法(ST) 言葉の理解やコミュニケーション 意思疎通によるパニックの減少


進行性の難病と向き合う毎日の工夫

「今」という瞬間を最大化する

難病の進行という事実は、常に私たちの背後に忍び寄っています。以前の私は、「歩けなくなったらどうしよう」「食べられなくなったらどうしよう」と、まだ見ぬ未来を悲観して今を塗りつぶしていました。しかし、ある時気づいたのです。未来を案じる時間は、「今できること」を慈しむ時間を奪っているに過ぎないと。

今、息子が自分の足で一歩歩いたのなら、その一歩を全力で祝福する。今、彼が美味しそうにプリンを食べたなら、その幸せを共に噛み締める。時間の「長さ」を求めるのではなく、「深さ」や「鮮やかさ」を求める。そう決めてから、私たちの生活には不思議なほど笑いが増えました。

「明日がある」ことは当たり前ではありません。でも、それは健常児の家庭だって同じはず。私たちはただ、その事実を少し早く、少し深く知っただけ。そう自分に言い聞かせ、毎晩「今日も一日、この子と笑って過ごせた」と自分を褒めて眠るようにしています。このマインドセットの転換こそが、私たちの最大の防御策です。

環境調整という最高の愛情

身体の不自由さが増していく中で、私たちは自宅の環境調整に力を入れました。段差をなくし、手すりをつけ、息子が無理なく移動できる動線を作りました。また、重いおもちゃを軽いものに変え、握力が弱くても使いやすいスプーンを探しました。これらは一見「過保護」に見えるかもしれませんが、私たちにとっては「自立」への支援です。

環境が整うと、息子は「自分でできる」ことが増え、自信に満ちた表情を見せるようになりました。難病であっても、工夫次第で世界は広がります。私たちはテクノロジーも積極的に取り入れています。発語が難しい息子がタブレットを使って意思を伝える姿は、私たちに新しい希望を与えてくれました。

💡 ポイント

「できないことを訓練して克服させる」ことも大切ですが、それ以上に「できないことを道具や環境で補い、生活の質を上げる」という視点が、難病児や障害児の生活には欠かせません。

二次的障害を防ぐ心のケア

知的障害や難病のある子供にとって、最も避けなければならないのが「自分はダメなんだ」という自信喪失からくる、自傷やパニックなどの二次的障害です。息子が自分の身体や能力の変化に戸惑い、苛立つとき、私たちは「あなたのせいではないよ」というメッセージを伝え続けています。

例えば、足がもつれて転んでしまったとき、私たちは叱るのではなく、「びっくりしたね。床が少し滑りやすかったかな。一緒に座って休憩しよう」と、外部の環境や状況を理由にします。彼が自分を責めないように、そして「休憩すればまた大丈夫」と思えるように。本人の尊厳を守ることが、何よりのリハビリだと考えています。

また、彼の得意なこと(例えば音楽や色彩感覚)を徹底的に伸ばす時間も設けています。できないことを数える生活は疲れますが、得意なことで輝く姿を見る時間は、家族全員の栄養剤になります。「病気は彼の一部だけれど、彼のすべてではない」。その言葉を胸に、私たちは日々の暮らしを彩っています。


地域社会の中で「居場所」を作る

「普通」の壁を越えて

障害や難病を抱えての外出は、時に勇気がいります。好奇の目で見られたり、公共の場でパニックを起こして白い目で見られたり。そんな経験を一度でもすると、家の中に引きこもりがちになります。私も一時期、近所の公園にすら行けなくなっていました。

しかし、支援学校の先輩ママから言われた「私たちが社会に出て行かないと、社会はいつまでも慣れてくれないよ」という言葉に背中を押されました。私たちは少しずつ、お気に入りのカフェや図書館、近所の商店街へと足を運ぶようにしました。そこでは、驚くほど温かい「地域の目」に出会うことができました。

「車椅子、お手伝いしましょうか?」「ゆっくりで大丈夫ですよ」。そんな何気ない一言が、私たちの孤独を少しずつ溶かしてくれました。もちろん、不快な思いをすることもあります。でも、それ以上に多くの人が、私たちを「特別な存在」としてではなく「地域の一員」として見てくれていることに気づきました。社会の中に味方を作ること。それは、息子が将来生きていくための礎になります。

学校選択という大きな分岐点

就学を考える際、私たちは地域の小学校の個別支援学級と、特別支援学校のどちらを選ぶかで激しく悩みました。「普通」の集団に近い環境に身を置かせたいという親の未練と、手厚いケアが必要な本人の現実。何度も話し合い、見学を重ねました。

最終的に私たちが選んだのは、特別支援学校でした。そこには、息子の難病による体力の変化に柔軟に対応できる医療的ケアの体制と、彼のペースを完全に尊重してくれるカリキュラムがありました。入学して一番に感じたのは、彼が「自分自身のままで主役になれる」喜びでした。

周囲と比較されるストレスから解放され、同じように戦う仲間たちに囲まれて、息子の表情はこれまで以上に輝いています。学校選択に「正解」はありませんが、「本人が最も自分らしくいられる場所はどこか」という問いを最優先に考えた結果、私たちは今の幸せにたどり着くことができました。

余暇活動とコミュニティ

学校以外の居場所として、障害児向けの音楽教室やスポーツサークルにも参加しています。そこでは、障害の種別を超えて子供たちが繋がり、親たちもまた貴重な情報交換を行っています。こうした「第3の居場所」があることで、家庭や学校だけで完結しない、豊かな人間関係が築けています。

特に難病児向けのキャンプイベントなどに参加した際は、息子と同じ病気を持ちながら元気に成人している先輩方に出会い、大きな勇気をもらいました。将来のロールモデルが見つかることは、不安という霧を晴らしてくれる最高の太陽です。私たちはこれからも、積極的に新しい扉を叩き、息子の世界を広げていきたいと考えています。

✅ 成功のコツ

地域のコミュニティに参加する際は、最初から「これとこれは助けが必要です」と具体的に伝えておくと、周囲も接しやすくなり、良好な関係を築きやすくなります。弱さを開示することは、強さの証でもあります。


よくある質問(FAQ)

Q1. 発達の遅れを認めるのが怖くて、病院に行く勇気が出ません。

そのお気持ち、本当によく分かります。診断名がつくことは、これまでの希望が否定されるような、取り返しのつかない重みを感じるものです。しかし、診断は「レッテル」ではなく、お子さんが適切な支援を受けるための「パスポート」です。早く動くことで、お子さんの特性に合った遊び方や関わり方が分かり、あなた自身の育児のしんどさが軽減されます。勇気が出ないときは、信頼できる友人や保健師さんに付き添ってもらうのも一つの手ですよ。

Q2. 難病と障害、二重の負担に心が折れそうです。

誰だって折れます。折れて当たり前です。あなたは超人ではありません。まずは、自分の「しんどい」という感情を否定しないでください。そして、レスパイトサービス(休息のための預かり)などを積極的に利用し、一人の人間として呼吸する時間を確保してください。親が倒れてしまっては、お子さんを守ることはできません。「24時間完璧な親」を目指すのをやめ、「時には休む、頼る親」になることが、最も持続可能な支援の形です。

Q3. 将来の自立について考えると絶望しかありません。

未来の不安は、常に「今」を侵食します。20年後のことを考えて今日を泣いて過ごすより、今日の10分間を笑って過ごす方が、結果としてお子さんの将来のためになります。自立とは「一人で何でもできること」ではなく、「適切に人を頼り、助けてもらいながら生きていくこと」です。今のうちから多くの支援者と繋がり、社会の中に息子の理解者を増やしておくこと。それが、私たちができる最大の「将来への備え」です。

Q4. 周囲の子供との発達の差に、どうしても嫉妬してしまいます。

それは自然な感情です。SNSでキラキラした育児アカウントを見て、スマホを投げ出したくなるのはあなただけではありません。そんな時は、意識的にSNSを遮断し、自分だけの世界を守りましょう。幸せの形は一つではありません。100メートルを10秒で走る喜びもあれば、1ミリの指の動きに宇宙のような感動を覚える喜びもあります。あなたは、普通の人には見えない「小さな奇跡」を見つける才能を、お子さんから授かっているのだと私は思います。


まとめ:あの日から始まった物語の続き

「絶望」を「受容」に変えていく力

息子の発達に違和感を覚えたあの日。私の人生は終わったのだと思いました。しかし、あの日から数年経った今、私たちの物語は終わるどころか、以前よりもずっと豊かで色彩豊かなものになっています。知的障害や難病は、確かに私たちの生活から多くのものを奪いました。しかし、代わりに与えてくれたものもまた、計り知れません。

それは、当たり前の日常に感謝する心。一瞬の笑顔に魂が震えるような感動。そして、人間の真の価値は、能力や速さではなく、ただそこに在ることの尊さにあるという気づきです。私たちは「かわいそうな家族」ではありません。世界で一番、生命の輝きを間近で見守っている幸福な家族なのです。

もちろん、これからも困難な日はやってくるでしょう。でも、あの日、暗闇の中で泣いていた私はもういません。私たちには、共に戦う仲間がいて、支えてくれる社会があり、何より、どんな時も私たちの手を握り返してくれる息子がいます。その手の温もりが、私たちの進む道を照らす確かな光です。

あなたへ、次の一歩へのアクション提案

今、もしあなたが一人で震えているのなら、まずは市町村の相談窓口や地域の障害児者支援センターに一本の電話をかけてみてください。名前を名乗るのが怖ければ、匿名でも構いません。「少し不安なんです」という一言から、新しい物語が動き出します。社会はあなたが思っているよりも、ずっと温かく、あなたを助けるための準備を整えて待っています。勇気を出して、その手を差し伸べてみてください。

✅ 成功のコツ

自分を責めるのを今すぐやめましょう。あなたは今日まで、大切なお子さんの命を守り抜いてきました。それだけで、あなたはもう世界一立派な親なのです。今夜は自分に、温かいお茶でも淹れてあげてくださいね。

まとめ

  • 違和感を放置せず、専門家と繋がる:診断はレッテルではなく、適切な支援と理解のためのパスポートであり、親自身の孤独を解消する第一歩となる。
  • 「できない」の先にある「どうするか」を考える:欠損を数える減点方式の育児を卒業し、環境調整や道具の活用、スモールステップの積み重ねでお子さんの「自信」を育む。
  • 今という瞬間の幸せを最大化する:未来の不安に支配されず、今日の笑顔や小さな成長を全力で祝福するマインドセットが、進行性の難病と向き合う最強の盾になる。

鈴木 美咲

鈴木 美咲

すずき みさき42
担当📚 実務経験 15
🎯 相談支援🎯 当事者・家族支援

📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員

相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。

社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。

もっと詳しく

💭 福祉の道を選んだ理由

大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。

✨ 印象に残っている出来事

孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。

✍️ 記事を書く上で大切にしていること

実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。

🎨 趣味・特技

ヨガ、カフェ巡り

🔍 最近気になっているテーマ

ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア

📢 この記事をシェア

関連記事