障害がわかった瞬間、頭の中が真っ白になった話

音が消えた診察室:障害を告げられたあの日の記憶と、そこからの歩み
「お子さんには、自閉スペクトラム症の傾向があります」。医師からそう告げられた瞬間、診察室の空気は凍りつき、私の耳からすべての音が消えました。窓の外ではいつも通り車が走り、日常が続いているはずなのに、私だけが宇宙の果てに放り出されたような、強烈な孤独感に襲われたのです。
この記事では、子どもの障害がわかった瞬間の絶望的な心情と、その後の葛藤、そしていかにして前を向けるようになったのかという実体験をありのままに綴ります。今、まさに頭の中が真っ白になり、足元が崩れるような思いをされている方へ。「今のあなたのままで大丈夫」というメッセージとともに、心の回復に向けたヒントをお届けします。
告知の瞬間:思考が停止し、世界がモノクロになった
あの日のことは、2026年になった今でも、スローモーションの映像のように鮮明に思い出すことができます。3歳児検診での指摘を受け、数ヶ月待ってようやく漕ぎ着けた専門外来。心のどこかでは「個性が強いだけだと言ってほしい」という淡い期待を抱いていました。しかし、医師の言葉は私の願望を無慈悲に打ち砕きました。
告知を受けた直後、私は医師の口が動いているのは見えるのに、言葉の内容が全く頭に入ってこなくなりました。「思考停止」という言葉では言い表せないほどの衝撃です。診察室を出て、会計を待ち、駐車場へ向かうまでの記憶は、霧の中にいるように曖昧です。
「障害」という言葉が持つ重圧
当時の私にとって「障害」という二文字は、子どもの未来がすべて閉ざされたことを意味する死刑宣告のように感じられました。大学に行って、就職して、結婚して……。勝手に描き、信じて疑わなかった「普通の幸せ」という設計図が、一瞬にしてゴミ箱に捨てられたような気がしたのです。
「なぜ、うちの子なの?」「私の何がいけなかったの?」。そんな答えの出ない問いが、脳内で無限に繰り返されました。告知を受けた病院のロビーで、楽しそうに笑い合う他の親子連れを見て、「あの人たちはあちら側の世界の人、私はこちら側の世界の人」という、越えられない壁を感じて涙が止まりませんでした。
帰り道の景色が全く違って見えた
病院からの帰り道、いつもの街路樹や看板が、まるで知らない国の景色のように見えました。告知前と告知後で、子どもの容姿も、性格も、何も変わっていないはずなのに。私の「認識」が変わっただけで、息子が全く別の生き物になってしまったかのような、恐ろしい感覚に陥ったのです。
ハンドルを握る手が震え、赤信号で止まるたびに、深い溜息が漏れました。隣のチャイルドシートで、無邪気に指をしゃぶっている息子の姿が、たまらなく愛おしく、同時にたまらなく悲しく見えました。「この子を守り切れる自信がない」。その夜、布団の中で声を殺して泣き続けたことを覚えています。
夫への報告と、家庭内に流れた沈黙
仕事から帰ってきた夫に結果を伝えたとき、彼は一言も発しませんでした。ただ、食卓の椅子に座り、じっと手元を見つめていました。夫のその沈黙は、私をさらに不安にさせました。「この苦しみを、一番身近な人とも共有できないのか」という絶望感です。
後に知ったことですが、夫もまた、彼なりの方法でショックに耐えていただけでした。男性と女性では、悲しみの表し方や受容のプロセスが異なることが多いのです。しかし、当時の私は余裕がなく、夫の沈黙を「無関心」や「拒絶」と捉えてしまい、夫婦の間に深い溝ができてしまいました。
⚠️ 注意
告知直後は心身ともに極限状態にあります。大きな決断(離婚、退職、引越しなど)は、この時期には避けるのが賢明です。まずは自分の心を守ることを最優先してください。
受容への長いトンネル:怒りと悲しみのループ
告知から数ヶ月間、私の心はジェットコースターのように揺れ動きました。心理学で言われる「悲しみの受容プロセス」そのものでした。2025年に発表されたある調査によれば、障害児の親が告知を「納得」できるまでには、平均して3年から5年の歳月を要するというデータもあります。私はまさに、その長いトンネルの中にいました。
朝起きた瞬間は事実を忘れていて、数秒後に「ああ、そうだ。あの子は障害があるんだ」と思い出して絶望する。そんな日々の繰り返しでした。前向きになろうと努力しては、些細なパニックや周囲の目線によって、一気にどん底まで突き落とされる。「期待と絶望の繰り返し」が、私の精神を削っていきました。
「原因探し」という名の自傷行為
私は、なぜ息子が障害を持って生まれたのか、その「犯人探し」に没頭しました。「妊娠中にコーヒーを飲みすぎたからだろうか」「ストレスが多かったせいだろうか」「私の遺伝子が悪いのだろうか」。ネット掲示板や専門書を漁り、自分を責めるための材料ばかりを集めていました。
今ならわかりますが、発達障害の原因を個人の生活習慣に求めるのは科学的に間違いです。しかし、何かのせいにしなければ、この不条理を受け入れられなかったのです。「自責の念」は、自分を励ますエネルギーをすべて奪い去り、私をさらに孤立させていきました。親が自分を責めることは、結果として子どもの支援を遅らせる最大の障壁になることを、当時の私は知りませんでした。
周囲への嫉妬と疎外感
公園や児童館に行くのが、何よりも苦痛でした。定型発達(発達に遅れがないこと)の子どもたちが、言葉を交わし、ルールのある遊びをしている姿を見るたびに、胸が締め付けられました。「あの子たちはいいな」「どうしてあのお母さんは、あんなに楽そうに子育てをしているの?」。
親友からの「育児って大変だよね」という言葉にさえ、激しい怒りを感じるようになりました。「あなたの苦労なんて、私の何分の一でもないくせに」。そんな歪んだ感情を抱いてしまう自分が嫌いで、ますます誰とも会いたくなくなりました。「透明な孤立」。周りに人はいるのに、誰とも繋がっていないような感覚がずっと続いていました。
告知を隠し続けるストレス
義両親や親戚、親しい友人に対しても、しばらくの間は告知の内容を隠していました。「言葉が少し遅いだけ」と嘘をつき続けるのは、想像以上にエネルギーを消費します。誰かにバレるのではないか、変に思われているのではないか。そんな怯えを抱えながら過ごす毎日は、私をさらに追い詰めました。
真実を話すことは、自分の中で「障害」を事実として確定させてしまうようで怖かったのです。でも、秘密を抱えることは、「息子を否定し続けている」ことと同じでした。この葛藤がピークに達したとき、私は初めて地域の支援センターの電話相談を利用しました。見ず知らずの相談員さんに、泣きながらすべてを吐き出したあの1時間が、私の転機となりました。
💡 ポイント
感情が乱れるのは、あなたが一生懸命に親をやっている証拠です。ネガティブな感情を「悪いもの」として蓋をせず、「私は今、辛いんだな」と認めてあげることから回復は始まります。
支援という名の「杖」を見つけるまで
どん底の状態から私を救い出してくれたのは、専門家による具体的な「支援」と、同じ境遇にある仲間との出会いでした。告知から半年が過ぎた頃、ようやく「このままではいけない」と思い直し、療育センターの門を叩きました。そこで出会った療育担当の先生は、私の絶望を否定せず、ただこう言ってくれました。
「お母さん、よく今日まで一人で頑張りましたね。これからは、私たちが一緒に考えます。息子さんは、お母さんを苦しめるために生まれたのではありませんよ」。その言葉に、私は初めて自分を許されたような気がしました。「チームで育てる」という概念を知ったとき、重すぎて持てなかった息子の人生が、少しだけ軽く感じられたのです。
療育センターという新しい居場所
療育(発達支援)が始まると、生活のリズムが劇的に変わりました。それまでは「どうしてできないの?」と叱ってばかりいた場面でも、先生たちが教えてくれる「視覚支援」や「構造化」という手法を使うことで、息子が穏やかに過ごせる時間が増えていきました。
2026年現在は、以下の表のように、多くの支援ツールが普及しており、家庭でも取り入れやすくなっています。ツールを使うことで、息子の「困った行動」が「特性ゆえの反応」であることが可視化され、私の精神的な余裕に繋がりました。できないことを無理にやらせるのではなく、「環境を整える」ことの重要性を学んだのです。
| 支援ツール名 | 目的 | 具体的なメリット |
|---|---|---|
| 絵カード・スケジュール表 | 見通しの確保 | パニックが減り、自発的な行動が増える |
| タイマー(視覚式) | 時間の可視化 | 切り替えがスムーズになり、親のイライラが減る |
| イヤーマフ・ノイズキャンセリング | 感覚過敏の緩和 | 外出先でのパニックを防ぎ、行動範囲が広がる |
「親の会」で見つけた、言葉のいらない理解
支援センターの勧めで参加した「親の会」。最初は緊張しましたが、そこで出会ったお母さんたちの明るさに驚きました。重度の知的障害があるお子さんを育てている方が、「うちの子、今日も脱走しちゃって大変だったのよ!」と笑って話しているのを見て、衝撃を受けました。
彼女たちは、絶望を通り越し、その先の「しなやかな強さ」を身につけていました。「ここでは、どんな失敗談も笑い飛ばしていいのよ」。その言葉通り、私がこれまで誰にも言えなかったドロドロとした感情を打ち明けると、皆が「わかる、わかるよ」と頷いてくれました。「孤独の解消」が、これほどまでに心を癒やすのかと、魂が震えるような思いでした。
専門家への信頼と、役割分担の明確化
かつての私は、自分が医師であり、教師であり、セラピストであり、そして母親でなければならないと思い込んでいました。でも、それは不可能です。支援員さんたちと関わる中で、「療育のことはプロに任せよう。私は、この子の安全な避難所である母親であればいい」と、役割を割り切れるようになりました。
役割を分担することで、息子と二人きりで煮詰まる時間が減りました。プロの客観的な視点は、私が気づかなかった息子の小さな成長(「目が合った」「バイバイができた」など)を教えてくれました。「第三者の目」を入れることは、親が主観的な絶望から抜け出すための、最も有効な手段の一つです。
✅ 成功のコツ
支援機関は「サービスを利用する場所」ではなく、「信頼できるパートナーを作る場所」だと考えましょう。困りごとを正直に話すほど、あなたにぴったりの「杖」が見つかりやすくなります。
視点の転換:障害は「奪うもの」ではなく「教えるもの」
告知から3年が経つ頃、私の価値観は以前とは全く違うものになっていました。かつては、障害によって息子の可能性が奪われたと思っていました。でも、実際には息子は、私にそれまで知らなかった「新しい世界の美しさ」を教えてくれていました。普通の人が見落とすような、道端に咲く小さな花の形や、雨粒が窓を流れる音。息子はじっとそれらを観察し、私をその世界へと誘ってくれました。
幸せの基準が、「人より優れていること」から「昨日よりこの子が笑っていること」へとシフトしました。この視点の転換は、私の人生を驚くほど豊かにしてくれました。「足るを知る」という言葉の意味を、息子という最高の教師から学んだのです。障害は、私たちの生活を不便にしましたが、不幸にはしませんでした。
「普通」という呪縛からの解放
一番大きかったのは、世間が言う「普通」や「平均」という物差しを捨てられたことです。以前の私は、偏差値や、年収や、目に見える社会的ステータスに縛られて生きていました。でも、息子にはそれらが通用しません。彼はただ「今、この瞬間」を全力で生きています。その純粋さに触れるうちに、私もまた、他人の目を気にして生きるのをやめることができました。
息子がいたからこそ出会えた仲間、息子がいたからこそ気づけた社会の優しさ。それらは、もし息子が定型発達の子どもだったら、一生知らずに終わっていた宝物です。「失ったものに目を向けるのではなく、得たものを数える」。この思考の習慣が、私の心を強く、そして柔らかくしてくれました。
息子の「強み」に目を向け始める
障害というラベルの下に隠れていた、息子の個性にスポットを当てられるようになりました。数字に対する抜群の記憶力、誰に対しても裏表のない素直さ、そして一度興味を持ったことへの圧倒的な集中力。これらは、見方を変えれば、現代社会において非常に価値のある「才能」です。
「できないこと」を「並み」にするための訓練に時間を使うのをやめ、「得意なこと」をさらに伸ばす方向へシフトしました。2026年現在、多様な才能を認める「ニューロダイバーシティ(脳の多様性)」という考え方が一般的になりつつあります。息子には、息子にしか歩めない、光り輝く道があるのだと確信できるようになりました。
家族の絆の再構築
告知直後に冷え切っていた夫との関係も、長い時間をかけて再生しました。共に悩み、共に支援を学び、共に息子の成長を喜ぶ。そのプロセスの積み重ねが、以前の「仲のいい夫婦」よりも、もっと深く、盤石な「戦友」としての絆を作ってくれました。障害は、私たちの家族をバラバラにするどころか、より強いチームへと鍛え上げてくれたのです。
夫は今、息子に電車の知識で負けることを楽しんでいます。家族で過ごす夕食の時間は、他愛ない話と笑いに満ちています。もちろん、大変なことは今でもあります。でも、「私たちなら、どんなことがあっても大丈夫」という根拠のある自信が、家族の中に根付いています。あの真っ白になったあの日があったからこそ、今のこの深い幸せがある。そう思える日が来るなんて、あの日診察室で泣いていた自分に教えてあげたいです。
よくある質問(FAQ):告知直後のあなたへ伝えたいこと
多くの親御さんが告知直後に抱く疑問や不安に、私の経験からお答えします。
Q1. 子どもが将来、自立して生きていけるのか不安で夜も眠れません。
その不安は非常に現実的なものであり、否定する必要はありません。ただ、2026年現在の日本には、就労支援やグループホームなど、親がいなくなった後も本人が自分らしく生きるための「社会的な仕組み」が以前より整っています。今から20年後のことを一人で背負う必要はありません。今できることは、今の支援をしっかりと受けること、そして本人の「好き」を一つでも増やすことです。未来は、今の「安心」の積み重ねの先にあります。
Q2. 親戚や友人に、どう伝えればいいでしょうか?
無理に今すぐ全員に話す必要はありません。あなたが「この人なら信頼できる」と思う人だけで十分です。伝えるときは、障害名というラベルだけでなく、「音に敏感だから、大きな音は控えてもらえると助かる」といった具体的な「お願い」として伝えると、相手もどう接すればいいか分かりやすくなります。あなたの心を守るための「心の壁」を、今は大切にしてください。
Q3. 子どもに障害があることを、いつか本人に伝えるべきでしょうか?
「告知」は一度のイベントではなく、長い時間をかけて本人のアイデンティティを育むプロセスです。本人が「自分は周りと少し違うな」と感じ始めたとき、それが「ダメなこと」ではなく「脳のタイプが違うだけなんだ」とポジティブに理解できるよう、専門家と相談しながら少しずつ伝えていくのが理想的です。「障害はあなたの価値を下げない」というメッセージを、日常の中から伝え続けてあげてください。
まとめ:あの日、世界が終わったわけではなかった
障害がわかった瞬間、私の頭は真っ白になり、世界は終わったと思いました。でも、実際には世界が終わったのではなく、これまでの「当たり前」という古い皮が剥がれ落ち、より本質的で、より温かい「新しい世界」が姿を現しただけだったのです。あの日、診察室で流した涙は、古い自分との決別の儀式であり、新しい自分へと生まれ変わるための産声でした。
今、あなたが暗闇の中にいるのなら、どうかそのままのあなたでいてください。無理に笑う必要も、すぐに強くなる必要もありません。時間はかかりますが、心には必ず回復する力が備わっています。そして、顔を上げたとき、あなたの周りには、あなたを支えたいと願う支援者や仲間が必ずいます。あなたは一人ではありません。この凸凹だらけの道は、歩いていけば必ず、あなただけの美しい景色に繋がっています。
今日からできる「次のアクション」
心が少し落ち着いたら、以下の小さなステップから始めてみませんか?
- 地域の「発達障害支援センター」の電話番号を登録する: 電話しなくて構いません。「いつでも助けを求められる窓口がある」という事実が、あなたのお守りになります。
- 15分だけ「自分のため」の時間を確保する: 好きな飲み物を飲む、静かな場所で深呼吸をする。親が「一人の人間」に戻る時間は、良質な支援のために不可欠です。
- 子どもの「可愛いところ」を一つだけメモする: 障害に関係なく、ただ「可愛いな」と思った瞬間を文字にしてみてください。それが、あなたの受容を支える小さな光になります。
一歩ずつ、半歩ずつ。あなたのペースで、ゆっくりと歩んでいきましょう。
まとめ
- 告知の瞬間に頭が真っ白になるのは、親として正常な反応であり、自分を責める必要はない。絶望は「変化」への通過儀礼である。
- 「一人で抱え込まない」ことが回復への近道。療育センターや親の会などの「支援チーム」と繋がることで、心の杖を手に入れることができる。
- 障害は、人生から幸せを奪うものではない。「普通」という物差しを捨て、本人の特性に合わせた環境を整えることで、新しい家族の形と深い幸せを見出すことができる。

鈴木 美咲
(すずき みさき)42歳📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員
相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。
社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。
もっと詳しく▼
💭 福祉の道を選んだ理由
大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。
✨ 印象に残っている出来事
孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。
✍️ 記事を書く上で大切にしていること
実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。
🎨 趣味・特技
ヨガ、カフェ巡り
🔍 最近気になっているテーマ
ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア





