知的障害と診断された日のこと——不安と安心が交錯した瞬間

名前がついたあの日から始まった新しい家族のカタチ
わが子の成長に違和感を抱きながら過ごす日々は、出口の見えないトンネルを歩いているような心細さがあります。検診での指摘や、周囲との比較に心を痛め、「もし診断がついたらどうしよう」という恐怖を抱えている方も多いのではないでしょうか。
私自身、息子が知的障害と診断されたあの日、激しい不安に襲われる一方で、心のどこかで深く安堵したことを今でも鮮密に覚えています。正体がわからなかった不安に「名前」がついたことで、ようやく私たちは次の一歩を踏み出すことができたのです。
この記事では、診断を受けるまでの葛藤や、病院でのやり取り、そして診断後の心の変化について、ありのままの体験をお伝えします。今、告知の瞬間を目前に控えている方や、診断を受けて間もない方の心が、少しでも軽くなることを願っています。
「グレーゾーン」という宙吊りの時間
検診での違和感と周囲の言葉
息子の成長に最初に疑問を持ったのは、1歳半検診のときでした。積み木が積めない、指差しをしない、そして何より「目が合いにくい」。保健師さんからは「様子を見ましょう」と言われましたが、その様子見という言葉が、どれほど親の心を削るものか、当事者になって初めて知りました。
周囲に相談しても、「男の子は遅いから」「そのうちおしゃべりするよ」という悪気のない励ましばかりが返ってきました。その言葉に救われるどころか、私は「母親である私の勘が間違っているのか、それとも私が過敏すぎるのか」と、自分を責める材料にしてしまっていたのです。
この時期の私は、常にネットで「1歳半 発達 遅れ」「自閉症 特徴」といった検索を繰り返していました。夜な夜なスマートフォンの画面を見つめては、息子に当てはまる項目を見つけては絶望し、当てはまらない項目を見つけては無理やり自分を納得させる。そんな精神的な消耗戦を、1年以上も続けていました。
「もしかして」が確信に変わるまで
2歳を過ぎても言葉は一向に出ず、こだわりやパニックが目立つようになりました。おもちゃを横一列に並べ続けたり、決まった道順でなければ泣き叫んだりする息子の姿を見て、私は確信しました。「この子は、他の子とは違う世界を生きているんだ」と。
確信を持ったことで、不思議と「診断を受けに行こう」という決意が固まりました。それまでは診断名がつくことを「わが子の人生にバツ印をつけられること」のように恐れていましたが、このまま何もわからずに彼を叱り、戸惑い続けることの方が、彼にとっても私にとっても不幸だと思ったのです。
病院の予約を取る電話をかけたとき、手が震えていたのを覚えています。でも、その震えは恐怖だけではなく、ようやくこの霧の中から抜け出せるという、微かな希望によるものでもありました。宙吊りの状態から、地に足をつけた状態へ。私たちの旅は、ここから本格的に動き出しました。
医療機関での長い待機期間
発達外来の予約を取ろうとして驚いたのは、その待機期間の長さでした。地域の基幹病院では「初診は6ヶ月待ち」と言われ、民間のクリニックでも数ヶ月先が当たり前。発達に悩む親子がこれほどまでに多いという現実に、日本の療育体制の厳しさを痛感しました。
待っている間、私は「今のうちにできることはないか」と焦り、独学で視覚支援(絵カードなど)の勉強を始めました。診断前であっても、本人の困りごとに寄り添うことはできるはずだと考えたからです。この「待つ時間」を「学ぶ時間」に変えたことが、後の診断をスムーズに受け止めるための準備運動になりました。
💡 ポイント
病院の予約が取れなくても、地域の保健センターや児童発達支援センターへは先に相談が可能です。診断がなくても「支援」は受けられる場合がありますので、一人で抱え込まずに複数の窓口を叩いてみてください。
診察室で告げられた「知的障害」という現実
発達検査の日、張り詰めた空気
いよいよ迎えた検査当日。息子は新版K式発達検査を受けました。隣で見守る私は、彼が課題に答えられないたびに、胸を締め付けられるような思いでした。一方で、検査員の方が息子の独特な反応を「面白い視点ですね」と肯定的に捉えてくれたことに、少しだけ救われた気持ちになりました。
検査結果は数値として明確に出されました。実年齢よりも発達年齢が大幅に低く、特に言語や認知の面での遅れが顕著でした。グラフ化された発達の凸凹(でこぼこ)を目の当たりにしたとき、「ああ、やっぱりそうだったんだ」という納得感が、波のように押し寄せてきました。
検査の結果を待つ数日間、私は何度も自分に問いかけました。もし重度の診断だったら?もし一生自立できなかったら?でも、検査当日の息子の頑張る姿を見て、不思議と「どんな数字が出ても、この子は私の大切な息子だ」という、核となる愛情が揺るがないことを再確認できたのです。
医師からの告知と溢れた涙
「検査の結果、〇〇くんには知的障害を伴う自閉スペクトラム症の傾向があります」。医師の言葉は淡々としていましたが、決して冷たいものではありませんでした。その言葉を聞いた瞬間、私の目から大粒の涙が溢れ出しました。それは悲しみというより、ようやく「本当のこと」を認めてもらえた安心感でした。
医師は、今の息子の脳がどのように世界を捉えているのかを詳しく説明してくれました。「彼は怠けているわけでも、お母さんの育て方が悪いわけでもありません。ただ、情報の処理の仕方が少しユニークなだけなんです」。その説明は、これまで私が感じていた罪悪感を、一つひとつ丁寧に剥がし取ってくれるようでした。
診断名がついたことで、息子は「困った子」から「困っている子」へと、私の中での定義が変わりました。診断は終点ではなく、彼に適したオーダーメイドの支援を始めるためのスタートラインなのだと、診察室を出るときには、視界が少しだけ明るくなっていました。
告知後に感じた、想定外の「開放感」
病院の帰り道、私は夫とファミレスに寄りました。二人で診断結果を共有し、「これから療育を探そう」「手帳の申請をしよう」と事務的な話をしながらも、お互いの顔にはどこか晴れやかな表情がありました。正体のわからない不安と戦っていた頃に比べれば、やるべきことが明確になった今は、ずっと楽だったのです。
もちろん、将来への不安がすべて消えたわけではありません。でも、「普通の子」という枠に無理やり息子を押し込めようとする努力をやめることができました。「ありのままの彼」を受け入れる許可証を、医師から発行してもらったような、そんな不思議な開放感に包まれていました。
✅ 成功のコツ
診断を受けた日は、自分たちの感情を優先して過ごしましょう。ご馳走を食べたり、ゆっくりお風呂に入ったりして、「告知を乗り越えた自分たち」を労わってください。事務的な手続きは明日からで十分間に合います。
診断後、最初に取り組んだ具体的なアクション
療育手帳(愛の手帳)の申請
診断後、私たちがまず行ったのは、療育手帳の申請でした。手帳を持つことに対して「障害者のレッテル」という抵抗感を持つ方もいるかもしれません。しかし、私たちは手帳を、息子が社会から受けるべき配慮やサービスをスムーズに受けるための「守りの盾」だと考えました。
児童相談所での面接や判定は緊張しましたが、担当者の方は非常に親身になってくれました。手帳を取得したことで、福祉サービスの利用だけでなく、公共交通機関の割引や所得税の控除など、具体的な経済的支援が受けられるようになりました。こうした公的なサポートは、将来を見据えたときに大きな安心材料となります。
| 手続き項目 | 場所 | 得られるメリット |
|---|---|---|
| 療育手帳の申請 | 児童相談所 | 各種割引、福祉サービスの基本 |
| 特別児童扶養手当 | 市区町村役場 | 養育のための経済的援助(所得制限あり) |
| 児童発達支援の利用 | 福祉窓口 | 専門的な療育、親のレスパイト(休息) |
児童発達支援事業所(療育)の見学
次に、息子が通う「療育」の場を探しました。地域にはいくつかの事業所がありましたが、それぞれに特色があります。運動に特化したところ、自立課題(机に座っての作業)を重視するところ、遊びを中心としたところ。私たちは、息子が最もリラックスして過ごせそうな場所を求めて、5箇所以上見学に回りました。
ある事業所で、先生が息子のパニックに対して「今はこう言いたかったんだよね」と優しく代弁してくれた姿を見て、「ここだ」と直感しました。親以外の理解者が社会に増えていく。それが、診断後に私が感じた最強の安心感でした。療育に通い始めてから、息子は少しずつ自分の意思を伝えようとする意欲を見せ始めました。
「療育は子供の訓練の場だと思っていましたが、実際は親が『障害のある子の育て方』を学ぶ場でもありました。先生方の関わり方は、家庭での接し方の最高のお手本です」
— 療育に通い始めた保護者の声
「個別の教育支援計画」の作成相談
将来の就学を見据え、息子にとって最適な環境を検討し始めました。地域の小学校の支援学級、あるいは特別支援学校。まだ先のことだと思っていましたが、自治体の相談員さんは「早めに情報を集めておいて損はありません」とアドバイスしてくれました。
私たちは、息子の特性や得意なこと、苦手なことをまとめた「サポートブック」を自作しました。これは、将来、学校の先生や放課後等デイサービスのスタッフに、息子のことを正しく知ってもらうためのツールです。自分たちの手で彼の説明書を作る作業は、彼への理解を深める貴重な機会となりました。
進行性の難病との付き合い方と心の整理
知的障害に加えて判明した「難病」
知的障害の診断から数年後、息子の体調に異変があり、精密検査の結果、進行性の難病があることも分かりました。ようやく障害を受け入れ、前を向き始めた矢先の出来事で、私は再び奈落の底に突き落とされたような感覚でした。「なぜこの子ばかりに」という、ぶつけようのない怒りが込み上げました。
難病の告知は、知的障害とはまた違う重みがありました。「今できていることが、将来できなくなるかもしれない」という恐怖。この現実にどう向き合えばいいのか、私は再び長い闇の中に沈んでいきました。しかし、そんな私を救ってくれたのは、やはり知的障害の診断後に繋がった支援者の方々でした。
「病気があってもなくても、息子くんの歩む一日一日に価値があることは変わりません」。訪問看護師さんのその一言で、私は「未来の喪失」を嘆くのではなく、「今、ここにある命」を全力で慈しもうと決意しました。障害も難病も、彼の人生の彩りの一部なのだと、ゆっくりと、本当にゆっくりと受け入れていきました。
「今」という瞬間を最大化する生活
難病の進行を遅らせるためのリハビリや投薬治療が始まりましたが、私たちの最優先事項は「息子が今日、笑って過ごせるか」です。知的障害がある彼にとって、辛い治療の意味を理解するのは困難です。だからこそ、私たちは医療行為さえも「楽しいイベント」に変える工夫をしました。
リハビリの先生と遊びながら筋力を維持する、病院の帰りに大好きなお店に寄る。そんな日常の小さな幸せを積み重ねることが、進行性の病気と戦う私たちの武器になりました。病気に人生を奪われるのではなく、病気と共にどう豊かに生きるか。そのマインドセットの切り替えが、家族の絆をより強固にしました。
⚠️ 注意
進行性の病気の場合、状態の変化に一喜一憂しすぎると親の心が持ちません。「今日はこれができた」だけでなく「今日は穏やかに眠れた」といった、最低限のラインで自分を褒める習慣を持ちましょう。
福祉用具やテクノロジーの活用
身体機能の低下を補うため、私たちは積極的に福祉用具を導入しました。オーダーメイドの車椅子、視線で意思を伝える入力装置、姿勢を保持するクッション。これらは、彼から自由を奪うものではなく、彼の「できること」を拡張してくれる道具でした。
知的障害があるから機械の操作は無理だろうと決めつけず、本人の興味に合わせて環境を整えると、驚くような反応が返ってくることがあります。最新のテクノロジーを活用することで、彼は言葉を使わずに「お腹がすいた」「外に行きたい」といった意思表示ができるようになりました。不自由さの中に、自由を見つける。それが私たちの新しい生き方です。
周囲の理解と、社会との「つながり」
カミングアウトのタイミングと伝え方
診断がついた後、親戚や友人、近所の方にどこまで伝えるべきか悩みました。最初は隠していましたが、隠し続けること自体がストレスになり、私たちは「必要に応じて、明るく伝える」というスタンスをとることにしました。
「実は息子、知的障害があるんです。でも、こんなことが得意なんですよ」と、診断名だけでなく彼の「強み」をセットで伝えるようにしました。すると、周囲は驚くほど自然に受け入れてくれました。「大変だね」という憐れみではなく、「そうなんだ、じゃあこう接すればいいんだね」という理解が広がっていくのを感じました。
もちろん、中には心ない言葉をかける人もいるかもしれません。でも、診断名を盾にして社会から隠れるのではなく、診断名という地図を持って社会へ出ていくことで、私たちは多くの味方を見つけることができました。社会に理解を求めることは、将来、親がいない世界でも息子が愛されるための種まきなのです。
同じ境遇の仲間「ピア」の存在
知的障害や難病児の親の会に参加したことは、私の人生の大きな転換点でした。そこには、教科書通りのアドバイスではなく、泥臭くも温かい、生きた知恵が溢れていました。「パニックの時はこう乗り切った」「手帳の更新はここがポイント」。そんな会話に、何度救われたか分かりません。
自分の子供が障害児であるという現実に、心から笑い合える仲間。彼らは私の「第2の家族」とも言える存在になりました。孤独は、不安を何倍にも膨らませます。でも、誰かと繋がっているという実感があれば、どんなに高い壁も乗り越えていける。そんな勇気を、仲間たちからもらいました。
✅ 成功のコツ
SNSやネットのコミュニティも良いですが、できれば顔が見える地域の親の会に一度足を運んでみてください。地域の具体的な学校情報や病院情報など、そこだけでしか得られない貴重なネットワークが見つかります。
きょうだい児への配慮と説明
息子には妹がいます(いわゆる「きょうだい児」)。彼女にいつ、どのように兄の障害を伝えるかは大きな課題でした。私たちは、彼女が「なぜお兄ちゃんだけ怒られないの?」「なぜいつもお兄ちゃんが優先なの?」という疑問を抱き始めたタイミングで、正直に話すことにしました。
「お兄ちゃんは脳の形が少し個性的で、覚えるのがゆっくりなんだよ。でも、あなたのことが大好きなのは変わらないよ」。彼女に兄の世話を強いるのではなく、彼女は彼女の人生を全力で楽しむべきだと伝え続けました。家族全員が主役であること。それが、障害のある子を抱える家庭が健やかであるための鉄則です。
よくある質問(FAQ)
Q1. 診断がつくことで、将来の選択肢が狭まりませんか?
むしろ逆です。診断がつくことで、障害者雇用枠での就労や、福祉的就労、グループホームの利用など、「障害者としての権利」を行使できるようになります。診断名がないまま「努力が足りない人」として社会で苦しむよりも、特性を理解された上で適切な配慮を受けて働く方が、本人の自尊心を守りながら長く社会参加を続けることができます。
Q2. 知的障害は訓練で「治る」ものなのでしょうか?
知的障害は「病気」ではなく「特性」や「発達の遅れ」ですので、風邪のように治るという概念ではありません。しかし、療育や適切な関わりによって、「できること」を増やし、「困りごと」を減らすことは十分に可能です。治すこと(克服)を目指すよりも、その特性を持ちながら「いかに楽しく、安全に社会で生きていくか(適応)」を目指す方が、親子共に幸せな結果に繋がりやすいです。
Q3. 親が亡くなった後のことが不安で夜も眠れません。
この不安は、すべての障害児家庭に共通するものです。私たちは、早い段階から「親なき後」を見据えた準備を始めています。成年後見制度の勉強、障害者信託の検討、そして何より、「親以外に本人の特性を知る支援者を増やす」こと。地域の中に息子の居場所をたくさん作っておくことが、将来、彼を守るセーフティネットになります。一気に解決しようとせず、一つずつピースを埋めていきましょう。
⚠️ 注意
将来への備えとして「貯金」も大切ですが、それ以上に「人間関係の資産」を大切にしてください。お金だけでは解決できない緊急事態に助けてくれるのは、日頃から繋がっている地域の支援者や友人たちです。
Q4. 難病の進行により、知的障害の状態も変わりますか?
病気の種類によりますが、進行性の疾患の中には認知機能に影響を与えるものもあります。大切なのは、今の状態を定期的に発達検査等で数値化し、「その時々の彼」に合った支援にアップデートし続けることです。過去の状態に執着せず、今の彼が最も快適でいられる環境を再構築し続ける。その柔軟さが、進行性の病気と向き合う親には求められます。
まとめ:不安を抱えたまま、一歩踏み出すあなたへ
診断は「絶望の終わり」で「理解の始まり」
あの日、診察室で下された診断は、確かに私の心を激しく揺さぶりました。でも、今振り返れば、それは絶望の始まりではありませんでした。暗闇の中で正体のわからない化け物と戦っていた私に、ライトと地図が与えられた、そんな瞬間だったのです。診断名という地図を手に入れたことで、私たちは迷う時間を減らし、歩むべき道を自分の足で選べるようになりました。
知的障害も難病も、息子の人生という大きな物語の中の、一つの章に過ぎません。困難は多いですが、その分、普通なら見逃してしまうような小さな成長に、震えるほどの感動を覚えることができます。彼は私たちの「教科書」であり、愛することの本質を教えてくれる「師」でもあります。もしあの日、診断を受けていなければ、私はまだ「普通」という幻を追いかけて、彼を苦しめていたかもしれません。
今、不安で押しつぶされそうなあなた。その不安を消そうとしなくて大丈夫です。不安なまま、医師の言葉に耳を傾けてください。診断がついても、お子さんが変わるわけではありません。これまでと同じ、大好きなあなたの子供です。変わるのは、あなたの「見方」と、社会からの「支え」です。その変化を、どうか前向きに受け入れてみてください。
次の一歩へのアクション提案
もし今日、告知を受けて立ち止まっているなら、まずは温かい飲み物を飲んで、お子さんの寝顔をゆっくり眺めてください。そして明日、勇気を出してお住まいの地域の「児童発達支援センター」へ電話を一本かけてみてください。「診断がつきました、これからどうすればいいですか」と聞くだけで大丈夫です。そこから、あなたと新しい家族の物語が、動き始めます。
✅ 成功のコツ
親が「笑顔」でいるための工夫を最優先してください。あなたが自分を大切にすることが、お子さんへの最高の療育になります。一人で頑張りすぎず、社会に甘える練習を今日から始めていきましょう。
まとめ
- 診断名は、適切な支援への「パスポート」:診断がつくことで、療育手帳の取得や専門的な福祉サービスが利用可能になり、子供の特性に合わせた具体的な育て方が見えてくる。
- 「グレーゾーン」の不安を「確定」の安心へ:正体のわからない不安に名前がつくことで、親の自責の念が解消され、未来に向けた具体的な備えや学習を始めることができる。
- 「今ここ」の命と幸せを優先する:知的障害や進行性の難病があっても、将来を悲観しすぎず、日々の小さな成長や笑顔を積み重ねることが家族の強い絆とレジリエンス(回復力)を作る。

鈴木 美咲
(すずき みさき)42歳📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員
相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。
社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。
もっと詳しく▼
💭 福祉の道を選んだ理由
大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。
✨ 印象に残っている出来事
孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。
✍️ 記事を書く上で大切にしていること
実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。
🎨 趣味・特技
ヨガ、カフェ巡り
🔍 最近気になっているテーマ
ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア





