車椅子生活を始めて実感した“できないこと”と“できること”

車椅子からの新しい視界:日常に溢れる「できない」と「できる」の再発見
突然の事故や病気で車椅子生活が始まると、それまで意識もしなかった数センチの段差が、まるで巨大な壁のように感じられることがあります。「もう自分には何もできないのではないか」と、暗い部屋で一人、膝を抱えたくなる夜もあるでしょう。私自身も、車椅子の座面に座った瞬間、世界のすべてが遠ざかったような感覚に陥りました。
しかし、車椅子という「新しい足」に慣れていく中で見えてきたのは、失ったものばかりではありません。視線の高さが変わったからこそ気づける美しさや、人の温かさ、そして「できないこと」を「別の方法でやる」という工夫の楽しさです。この記事では、私の実体験を通じて、車椅子生活のリアルな壁と、それを乗り越えて見つけた新しい可能性についてお話しします。今、不安の中にいるあなたや、大切な方を支えたいと願うご家族にとって、この記事が少しでも光になれば幸いです。
物理的な壁と心の揺れ動き
車椅子生活を始めたばかりの頃、最初に向き合うのは「物理的な不自由さ」です。これは単に身体が動かないというだけでなく、社会の構造が「歩くこと」を前提に作られているという事実に直面することを意味します。自宅の玄関、トイレのドア、お気に入りのカフェの入り口。昨日まで自由に出入りしていた場所が、急に拒絶されているように感じてしまうのです。
最初の数ヶ月、私は外に出ることが怖くてたまりませんでした。誰かに迷惑をかけてしまうのではないか、車椅子でモタモタしているのを冷ややかな目で見られるのではないか。そんな被害妄想に近い不安が、心を支配していました。しかし、実際に一歩外へ踏み出してみると、不自由なのは「自分の身体」ではなく「環境とのミスマッチ」であることに気づき始めました。
段差という名の巨大なハードル
車椅子利用者にとって、2センチの段差は乗り越えるのが非常に困難な障害物です。特に自走式(じそうしき)の車椅子を使っている場合、前輪のキャスターが段差に引っかかると、前方へ転倒する危険すらあります。街中の歩道には排水のための傾斜があったり、タイルがガタガタしていたりと、車椅子に乗ってみて初めて知る困難がたくさんありました。
リハビリテーションセンターでの練習ではうまくいくのに、実際の街に出ると想定外のことばかりです。雨の日のタイルは滑りやすく、ハンドリム(手で回す輪の部分)を握る手も濡れて力が入りません。こうした経験が重なると、どうしても「自分はもう以前のようには動けない」という無力感に襲われがちです。でも、それはまだ「車椅子での移動」に慣れていないだけのことでした。
公共交通機関での苦労と学び
電車やバスを利用する際も、最初は緊張の連続でした。スロープを用意してもらうために駅員さんにお願いする際、「すみません」と謝るように声をかけていたのを覚えています。しかし、ある時出会ったベテランの車椅子利用者の方は、笑顔で「お願いします」と言い、降車時には「ありがとうございます」と明るく伝えていました。
その姿を見て、私はハッとしました。助けてもらうことは申し訳ないことではなく、社会の仕組みを利用することなのです。2021年の調査によると、主要な駅のバリアフリー化率は90%を超えてきています。もちろん地方や古い施設ではまだ課題がありますが、以前よりも確実に、私たちの「できること」を支えるインフラは整いつつあります。
⚠️ 注意
慣れないうちは、一人で無理に段差を越えようとしないでください。ウィリー走行などの技術を習得するまでは、周囲に助けを求める勇気を持つことが安全に繋がります。
自宅を「戦場」から「安らぎの場」へ
生活の基盤となる自宅が不便だと、心は休まりません。車椅子生活になると、それまでの家具の配置や収納の高さがすべて裏目に出ます。床に置いた物は取れず、高い棚にある物は見えもしません。私は最初、自宅の中でさえ「できないこと」の多さに涙を流しました。しかし、ここでも発想の転換が必要でした。
身体を家に合わせるのではなく、家を今の自分に合わせる。いわゆる住宅改修(じゅうたくかいしゅう)です。手すりの設置や段差解消だけでなく、生活動線を徹底的に見直すことで、自宅は再び「自由な場所」に変わります。私の場合は、キッチンの下に足が入るスペースを作ったことで、再び自炊ができるようになり、大きな自信を取り戻しました。
キッチンの工夫と料理の再開
料理は、私にとって大切な趣味でした。しかし、車椅子ではシンクが高すぎて中が見えず、火を使うのも怖かったです。そこで導入したのが、昇降式(しょうこうしき)の流し台や、テーブルの上で使える卓上IHコンロでした。また、野菜を切る際も、膝の上に滑り止めシートを敷いたカッティングボードを置くことで、安定して作業ができるようになりました。
「立って料理をする」という固定観念を捨てることで、座ったままでも美味しいものは作れるという発見がありました。むしろ、座っている分、足の疲れを気にせずにじっくりと煮込み料理に取り組めるというメリットさえ見つかりました。「やり方を変えればできる」という経験は、障害受容(しょうがいじゅよう)のプロセスにおいて非常に重要な役割を果たします。
トイレと入浴の自立を目指して
最もプライベートな空間であるトイレと浴室は、多くの当事者が不安を感じる場所です。私も当初は家族の介助が必要でしたが、それが精神的な負担になっていました。そこで、福祉住環境コーディネーターのアドバイスを受け、最適な位置に手すりを配置し、車椅子から便座への移乗(いじょう)をスムーズにできるように工夫しました。
お風呂に関しても、バスボード(浴槽の縁に渡す板)を活用することで、座ったまま安全に浴槽へ入れるようになりました。誰にも見られず、自分のペースで身体を洗える喜びは、何物にも代えがたい「自由」の証です。こうした小さな「自分でできる」の積み重ねが、生活全体の質を押し上げてくれます。
💡 ポイント
住宅改修には自治体から給付金が出る場合があります。まずはケアマネジャーや市区町村の障害福祉窓口に相談し、活用できる制度を確認しましょう。
周囲の優しさを味方につける方法
車椅子で生活していると、多くの「人の優しさ」に触れる機会が増えます。ドアを開けて待っていてくれる人、高いところの物を取ってくれる人。以前の私は、こうした親切を「自分は弱者だから受けているのだ」とネガティブに捉えていました。しかし、それは大きな間違いでした。親切を受け入れることは、コミュニケーションの第一歩なのです。
周囲の人も、実は「何か手伝いたいけれど、どう声をかけていいか分からない」と迷っていることが多いのです。自分からオープンな雰囲気を作ることで、周囲との関係は劇的に改善します。「助けてもらう技術」を磨くことは、車椅子生活を豊かにするための必須スキルだと言っても過言ではありません。
上手なヘルプの出し方
具体的なお願いをすることは、相手にとっても助けになります。「重いのでドアを押さえていただけますか?」「棚の上のあの商品を取ってもらえますか?」と、簡潔に具体的に伝えるのがコツです。そして、手伝ってもらった後は、最高の笑顔で感謝を伝えましょう。そのやり取りが、街の中に温かい空気を作っていきます。
また、時には「自分でやりたい」と思うこともあるでしょう。そんな時は「ありがとうございます。リハビリ中なので、少し自分でやってみますね」と優しく断れば大丈夫です。相手の好意を拒絶するのではなく、自分の状況を説明することで、お互いに嫌な思いをせずに済みます。自分の身体を守れるのは、最終的には自分だけですから。
家族や友人との新しい関係性
家族に対しても、ついつい「当たり前」に手伝ってもらってしまいがちですが、感謝の言葉は欠かさないようにしています。障害を負ったことで、家族は「介護者」になってしまうことがありますが、それはお互いにとって苦しいことです。なるべく外部のサービスを利用し、家族とは「楽しい時間を共有するパートナー」であり続ける努力が必要です。
友人と遊ぶ時も、以前のようにアクティブには動けないかもしれません。でも、車椅子で入れる映画館や、テラス席のあるカフェを探すなど、新しい楽しみ方を一緒に見つける過程もまた楽しいものです。本当の友人は、あなたが車椅子に乗っていようがいまいが、あなたという人間を大切に思ってくれているはずです。
「一人で頑張ることが自立ではなく、多くの人を巻き込んで、自分のやりたいことを実現していくのが本当の自立だと思うようになりました」
— 30代・脊髄損傷の当事者Aさん
テクノロジーが広げる「できること」の境界線
現代において、身体障害を補完してくれる最大の味方はテクノロジーです。20年前には難しかったことが、今ではスマートフォン一台で解決できる場合も少なくありません。特に身体の動きに制限がある場合、デジタルツールの活用は「情報のバリアフリー」を実現し、私たちの行動範囲を飛躍的に広げてくれます。
例えば、音声認識技術。手が動かしにくい日でも、声だけでメッセージを送ったり、調べ物をしたりできます。また、スマートホーム家電を活用すれば、車椅子に乗ったまま動かなくても照明を消したり、エアコンの温度調節をしたりすることが可能です。こうした「小さな便利」が積み重なることで、不自由さを感じる頻度が格段に減っていきます。
移動を支えるアプリと情報活用
初めて行く場所への外出を躊躇させるのは、「そこがバリアフリーかどうか分からない」という不安です。しかし今は、多目的トイレの場所や段差の有無を確認できるアプリが数多く存在します。また、Googleマップの「車椅子対応」ルート検索機能も、精度が年々向上しています。
事前に行き先の情報を収集しておくことで、当日のトラブルを最小限に抑えられます。私は外出前、必ず建物の入り口に数センチの段差がないか、ストリートビューで確認するようにしています。こうしたデジタルの目を持つことで、かつては冒険だった外出が、楽しみな「お出かけ」へと変わりました。
テレワークという新しい働き方の形
仕事に関しても、テクノロジーは大きな恩恵をもたらしました。車椅子での通勤は、満員電車や悪天候など、多くの体力的リスクを伴います。しかし、オンライン会議システムやクラウドツールの普及により、自宅で働く選択肢が広がりました。能力があっても「通えない」という理由で働けなかった時代は、終わりつつあります。
実際、IT関連の仕事やライティング、カスタマーサポートなど、座ってできる仕事の需要は非常に高いです。自分のペースで環境を整え、身体への負担を最小限に抑えながら社会に貢献する。これは身体障害者にとって、非常に持続可能な新しい自立の形と言えるでしょう。できないことを嘆くより、今の環境で活かせるスキルを磨くことに目を向けてみませんか。
✅ 成功のコツ
最新のガジェットやアプリには常にアンテナを張っておきましょう。新しいツール一つで、昨日までできなかったことが今日から「できること」に変わります。
心の健康を保つためのセルフケア
どんなに便利な道具を使い、周囲に助けられても、ふとした瞬間に心が折れそうになることはあります。リハビリが思うように進まなかったり、健常者の友人のSNSを見て羨ましくなったり。それは人間としてごく自然な感情です。大切なのは、そのネガティブな気持ちを否定せず、「そんな風に思う時もあるよね」と自分を受け入れてあげることです。
私は落ち込んだ時、あえて何もしない日を作ります。車椅子から離れてベッドに横たわり、好きな音楽を聴いたり、映画を見たりして、身体の不自由さから意識を切り離すのです。自分の価値は「歩けるかどうか」や「何ができるか」で決まるのではありません。ただそこに存在しているだけで、あなたには価値があるのです。
「小さな成功」を記録する習慣
心の安定を保つために私が実践しているのが、一日の終わりに「今日できたこと」を3つだけメモすることです。「朝、自分で着替えられた」「おいしいコーヒーを淹れられた」「通りすがりの人と挨拶した」。どんなに小さなことでも構いません。これを続けると、自分の中の「できること」の多さに改めて気づかされます。
私たちはどうしても「失ったもの」に目を向けがちですが、意識的に「今あるもの」に焦点を当てるトレーニングが必要です。1年前の自分と比べてみてください。車椅子の操作が少し上手くなっていませんか?新しいお店を開拓していませんか?過去の自分からの成長を見つけることが、明日の活力になります。
ピアサポートという心の避難所
自分と同じような境遇の人たちと繋がる「ピアサポート(仲間による支援)」は、非常に強力な癒やしとなります。病院や地域の家族会、あるいはオンラインのコミュニティでも構いません。当事者にしか分からない悩みや「あるあるネタ」を共有して笑い合うだけで、心が驚くほど軽くなります。
一人で悩んでいると、自分の世界が狭くなり、問題がどんどん巨大化して見えてしまいます。でも、仲間の話を聞くことで、「あ、その問題はこうやって解決すればいいんだ」という具体的なヒントが得られたり、「みんな同じように悩んでいるんだ」と安心できたりします。孤独を解消することは、身体のケアと同じくらい、あるいはそれ以上に重要です。
よくある質問(FAQ)
車椅子生活を始めたばかりの方や、そのご家族からよくいただく質問にお答えします。
| 質問 | 回答・アドバイス |
|---|---|
| 車椅子だと行ける場所が限られて、人生が退屈になりませんか? | 確かに制限はありますが、その分「どうすれば行けるか」を考える創造的な楽しみが増えます。バリアフリー旅行専門のツアーなどもあり、冒険の仕方は無限にあります。 |
| 周囲の目が怖くて、一人で外に出る勇気が出ません。 | 最初は誰かと一緒でも良いですし、家の周り10メートルから始めても大丈夫です。サングラスをかけて「自分だけの空間」を意識するのも一つのテクニックです。 |
| 電動車椅子と手動車椅子、どちらが良いでしょうか? | 活動範囲や体力によります。長距離移動や坂道が多いなら電動が楽ですが、軽量な手動は車への積み込みがしやすいです。理学療法士(PT)と相談して試乗を重ねましょう。 |
| 身体を動かさないと二次障害が怖いのですが。 | 座りっぱなしによる褥瘡(じょくそう・床ずれ)や関節の拘縮(こうしゅく)には注意が必要です。こまめなプッシュアップやストレッチの習慣を専門家に教わりましょう。 |
未来へのステップ:新しい日常を彩るために
車椅子生活は、確かに多くの「できないこと」を突きつけてきます。しかし、それは同時に、これまで当たり前すぎて見過ごしていた「生きていることの豊かさ」を再発見する旅でもあります。視線の高さが120センチになったからこそ、子供たちと同じ目線で笑い合えたり、道端に咲く小さな花の美しさに気づけたりするのです。
不自由さは、不幸ではありません。それは単なる「不便な状態」であり、工夫と知恵、そして周囲の助けを借りることで、克服していくことができるものです。あなたは決して、車椅子に縛られているわけではありません。車椅子という道具を使って、新しい世界へ漕ぎ出していく「乗り手」なのです。
次の一歩への提案
もし今、少しだけ「何かやってみよう」という気持ちが湧いてきたなら、まずは以下の3つのステップから始めてみませんか?
- お気に入りの「車椅子で行ける場所」を一つ見つける。 近所のコンビニでも、公園のベンチでも構いません。そこを自分のテリトリーにしましょう。
- 日常生活の「困った」をリストアップする。 漠然とした不安を可視化することで、解決策(住宅改修や福祉用具)が見つかりやすくなります。
- 同じ境遇の人のブログやSNSを覗いてみる。 「こんな風に楽しんでいる人がいるんだ」というモデルケースを見つけることで、未来へのイメージが膨らみます。
焦る必要はありません。タイヤを一回転させるごとに、あなたの世界は少しずつ広がっていきます。あなたがあなたらしく、笑顔でいられる時間を一分でも長く増やしていけるよう、心から応援しています。
まとめ
- 環境を身体に合わせる「住宅改修」や「福祉用具」の活用が、自立の土台を作る
- 「助けてもらうこと」を恐れず、具体的に伝えるコミュニケーション能力を磨く
- テクノロジー(スマホ、スマートホーム、テレワーク)を使いこなし、行動範囲を広げる
車椅子生活は、決して人生のゴールではありません。むしろ、新しい自分に出会うためのスタートラインです。「できないこと」に目を向け、絶望する日があってもいい。でも、その隣にある「できること」や「工夫してできるようになったこと」を、どうか同じくらい大切に数えてあげてください。あなたの新しい物語は、今、ここから始まっています。

鈴木 美咲
(すずき みさき)42歳📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員
相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。
社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。
もっと詳しく▼
💭 福祉の道を選んだ理由
大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。
✨ 印象に残っている出来事
孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。
✍️ 記事を書く上で大切にしていること
実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。
🎨 趣味・特技
ヨガ、カフェ巡り
🔍 最近気になっているテーマ
ヤングケアラー支援、家族のレスパイトケア





