支援者との出会いが人生を変えた話

絶望の中で出会った一人の支援者
「もう、誰も信じられない」——うつ病と診断され、何度も治療に挫折し、人間関係も崩壊し、私は完全に孤立していました。家族にも友人にも心を閉ざし、支援を拒み続けていました。「どうせ誰も理解してくれない」——そう思っていました。
そんな私の人生を変えたのは、一人の精神保健福祉士との出会いでした。彼女は私を否定せず、急かさず、ただ「あなたのペースでいい」と言い続けてくれました。その言葉と姿勢が、閉ざしていた私の心を少しずつ開いていったのです。
この記事では、支援者との出会いが私の人生をどう変えたか、信頼関係がどう築かれていったか、そして今だから言える「支援を受け入れる」ことの大切さについてお話しします。
出会う前——すべてを拒絶していた私
「誰も信じられない」という状態
精神保健福祉士の田中さん(仮名)と出会う前、私はすべての支援を拒絶していました。
医師の言うことも聞かない。カウンセラーの提案も断る。家族の心配も拒む——誰の助けも受け入れられませんでした。
なぜなら、過去に何度も「期待して裏切られた」経験があったからです。ある医師には「気の持ちよう」と言われ、あるカウンセラーには「頑張って」と励まされ、家族には「甘えている」と言われました。
そうした経験の積み重ねで、私は人を信じることができなくなっていました。
⚠️ 注意
精神疾患を抱える人が支援を拒否する背景には、過去の傷つき体験や信頼の喪失があることが多いです。支援者は、この「拒否」の背景を理解し、焦らず関係を築くことが重要です。
引きこもり生活
当時の私は、完全に引きこもっていました。外出は月に1〜2回の通院のみ。人と会うことも、電話で話すこともありませんでした。
部屋は散らかり放題。食事は不規則。入浴も週に1回程度。昼夜逆転の生活——完全に、社会とのつながりを失っていました。
母親が心配して、様々な支援機関を紹介してくれました。でも私は、すべて断りました。「どうせ誰も理解してくれない」——そう思っていたからです。
家族との関係も悪化
家族との関係も、最悪でした。心配してくれる家族の言葉も、私には「責められている」ように聞こえました。
「いつになったら良くなるの?」「もっと頑張らないと」——家族のこうした言葉が、私をさらに追い詰めました。
そして私は、家族にも心を閉ざしました。部屋に引きこもり、会話も最小限に。家族は疲弊し、私は孤立を深めていきました。
「支援を拒否する人ほど、実は支援を必要としています。でもそこに至るまでには、時間と信頼関係の構築が不可欠なんです」
— 後に田中さんが教えてくれた言葉
最初の出会い——「この人も同じだろう」
訪問支援という形
田中さんとの出会いは、訪問支援という形でした。
母親が、地域の精神保健福祉センターに相談したのがきっかけでした。そこから、訪問型の支援を行っている事業所を紹介され、田中さんが派遣されてきたのです。
最初、私は完全に拒否しました。「誰も来させないで」「一人にして」——母親にそう言いました。
でも母親は、「一度だけでいいから、会ってみて」と頼みました。その必死さに負けて、渋々承諾しました。
初めての訪問——期待していなかった
約束の日、インターホンが鳴りました。私は部屋から出ず、母親に対応してもらいました。
しばらくして、母親が部屋のドアをノックしました。「田中さんが来てくれたよ」。
私は渋々、リビングに出ました。そこには、30代くらいの女性が座っていました。笑顔で「初めまして。田中と申します」と挨拶されました。
私は、目も合わせませんでした。「どうせこの人も、他の支援者と同じだろう」——そう思っていました。
「無理に話さなくていい」
田中さんは、私の態度に動じる様子もなく、穏やかに話し始めました。
でも驚いたのは、彼女が私に質問攻めにしなかったことでした。
普通、支援者は聞いてきます。「今どんな気持ちですか?」「何か困っていることは?」「どうなりたいですか?」——こうした質問に、私はいつもうんざりしていました。
でも田中さんは違いました。「無理に話さなくていいですよ。私はただ、あなたのことを知りたいと思って来ました。あなたのペースで、話したいことがあれば聞かせてください」。
その言葉に、私は少し驚きました。
💡 ポイント
支援の初期段階では、「質問攻め」や「解決志向」ではなく、「存在を認める」「ペースを尊重する」姿勢が信頼関係構築の鍵になります。急がず、焦らず、相手のペースに合わせることが大切です。
信頼関係の始まり——少しずつ心を開く
「また来てもいいですか?」
最初の訪問は、30分ほどで終わりました。田中さんはほとんど私の話を聞くことなく、天気の話や近所の話など、他愛もない話をして帰っていきました。
帰り際、彼女は言いました——「また来てもいいですか?」
私は無言でうなずきました。正直、「来ても無駄だと思うけど」という気持ちでした。
でも不思議と、嫌な感じはしませんでした。他の支援者のように、私を変えようとする圧力を感じなかったからかもしれません。
週1回の訪問が始まった
それから、田中さんは週に1回訪問してくれるようになりました。
| 訪問回数 | 私の様子 | 田中さんの対応 |
|---|---|---|
| 1〜3回目 | ほとんど話さない、目も合わせない | 無理強いせず、一方的に話す |
| 4〜6回目 | 時々相槌を打つようになる | 少しずつ質問を混ぜる |
| 7〜10回目 | 短い返事をするようになる | 私のペースに合わせて会話 |
| 11回目以降 | 自分から少し話すようになる | 傾聴し、共感を示す |
田中さんは、毎回必ず来てくれました。私がほとんど話さなくても、不機嫌な態度を取っても、決して責めたり、急かしたりしませんでした。
「わかる」と言わない誠実さ
ある日、私は少しだけ自分の気持ちを話しました。「毎日が辛い。生きている意味がわからない」と。
多くの人は、こうした言葉に対して「わかる」「大丈夫」と言います。でも田中さんは違いました。
彼女は言いました——「私には、あなたの辛さの全てはわかりません。でも、とても辛い状況にいることは伝わります」。
この「わかる」と安易に言わない誠実さが、私の心を動かしました。
彼女は、わかったふりをしない。共感はするけれど、同一化はしない。その距離感が、私には心地よかったのです。
転機——初めて「助けて」と言えた日
パニック発作の夜
田中さんと出会って3ヶ月ほど経った夜、私は激しいパニック発作に襲われました。
息ができない。心臓が爆発しそう。「死ぬかもしれない」という恐怖——家族は既に寝ていて、私は一人で部屋でパニックになっていました。
その時、私は初めて自分から助けを求めました。田中さんに電話をしたのです。
深夜にもかかわらず、田中さんは電話に出てくれました。「大丈夫、私がいます。一緒に深呼吸しましょう」——その落ち着いた声に、私は救われました。
「よく連絡してくれた」
電話で30分ほど話し、パニックは収まりました。最後に田中さんは言いました——「よく連絡してくれましたね。それはとても勇気のいることです」。
その言葉を聞いて、私は泣きました。
これまで私は、「助けを求めること = 弱さ」だと思っていました。でも田中さんは、それを「勇気」だと言ってくれたのです。
この夜が、私と田中さんの関係の大きな転機でした。
✅ 成功のコツ
支援者への信頼は、危機的状況での対応で深まることが多いです。いつでも頼れる、という安心感が、支援を受け入れる土台になります。緊急時の連絡手段を確保しておくことが重要です。
初めて外に出た日
その出来事の後、私は少しずつ田中さんに心を開くようになりました。
そしてある日、田中さんが提案しました——「一緒に、近所を散歩してみませんか?」
何ヶ月も外出していなかった私は、最初躊躇しました。でも田中さんは言いました——「無理ならすぐに戻っていいです。玄関を出るだけでもいい」。
その言葉に後押しされて、私は初めて田中さんと外に出ました。
最初は玄関の外に5分。次は家の周りを一周。そして徐々に、散歩の時間が伸びていきました。
田中さんと一緒なら、外も怖くない——そう思えるようになっていました。
具体的な支援——生活の再建
一緒に部屋を片付ける
田中さんは、私の生活全般をサポートしてくれました。
ある日、彼女は提案しました——「一緒に、少しだけ部屋を片付けてみませんか?」
散らかり放題だった私の部屋。恥ずかしさもありましたが、田中さんは何も批判せず、ただ「一緒にやりましょう」と言ってくれました。
最初は10分だけ。ゴミ袋一つ分だけ——小さなステップから始めました。でもそれを続けるうちに、少しずつ部屋がきれいになっていきました。
部屋がきれいになると、心も少し軽くなりました。環境と心は、つながっているのだと実感しました。
福祉サービスの利用をサポート
田中さんは、様々な福祉サービスの利用もサポートしてくれました。
自立支援医療の申請、障害年金の手続き、就労移行支援事業所の見学——一人では到底できなかったことを、一緒にやってくれました。
書類の書き方がわからなければ、一緒に書いてくれる。役所に行くのが怖ければ、同行してくれる——その具体的なサポートが、どれほど助けになったことか。
家族との関係調整
田中さんは、家族との関係調整もしてくれました。
私と家族の間に入って、お互いの思いを伝え合う場を作ってくれました。家族向けの心理教育プログラムも紹介してくれました。
そのおかげで、家族は私の病気を理解してくれるようになりました。そして私も、家族の心配や疲れを理解できるようになりました。
少しずつ、家族との関係も修復されていきました。
田中さんから学んだこと
「待つ」ことの大切さ
田中さんから学んだ最も大きなことは、「待つ」ことの大切さでした。
彼女は、私を変えようと急ぎませんでした。私のペースを尊重し、私が変わる準備ができるまで、じっと待ってくれました。
この「待つ」という姿勢が、私に安心感を与えてくれました。「急がなくていい」「焦らなくていい」——そう思えることが、回復への大きな力になりました。
「あなた次第」という信頼
田中さんは、いつも私の選択を尊重してくれました。
「〜すべき」「〜しなければならない」とは決して言いませんでした。代わりに「どうしたいですか?」「あなたが決めていいんですよ」と言ってくれました。
この「あなた次第」という姿勢が、私に力を与えてくれました。自分で選べる、自分で決められる——その実感が、自信を取り戻すきっかけになりました。
「失敗してもいい」という安心感
田中さんは、失敗を責めませんでした。
散歩の途中でパニックになって引き返しても、「よく挑戦しましたね」と言ってくれました。約束を守れなくても、「また次がありますよ」と言ってくれました。
この「失敗してもいい」という安心感が、私に挑戦する勇気を与えてくれました。
1年後——新しい人生のスタート
就労移行支援への参加
田中さんと出会って1年後、私は就労移行支援事業所に通い始めました。
最初は週1日、午前中だけ。でも徐々に日数を増やし、プログラムにも参加できるようになりました。
そこで、様々なスキルを学びました。パソコン操作、ビジネスマナー、コミュニケーション——社会復帰に必要なことを、少しずつ身につけていきました。
初めてのアルバイト
就労移行支援に通い始めて半年後、私は人生で初めてのアルバイトを始めました。
週2日、1日4時間の軽作業。理解のある職場を、田中さんが一緒に探してくれました。
初出勤の日は緊張で震えていましたが、田中さんが「大丈夫。できることからでいいんです」と励ましてくれました。
そして無事に、初日を終えることができました。働けたという実感が、大きな自信になりました。
田中さんからの「卒業」
田中さんと出会って2年後、私は彼女からの支援を「卒業」しました。
もう、毎週の訪問は必要なくなっていました。自分で生活を管理でき、働けるようになり、困ったときは自分で相談できるようになっていました。
最後の訪問の日、田中さんは言いました——「本当によく頑張りましたね。でも、頑張ったのはあなた自身です。私はただ、そばにいただけです」。
その言葉を聞いて、私は涙が止まりませんでした。この人との出会いが、私の人生を変えたのだと。
今——支援を受ける側から、する側へ
ピアサポーターとして
田中さんから卒業して1年後、私はピアサポーターの養成講座を受講しました。
自分が受けた支援を、今度は誰かに返したい——そう思ったからです。
今、私は週に数回、同じように精神疾患で苦しむ人たちのサポートをしています。田中さんから学んだ「待つ」「尊重する」「急がない」という姿勢を、大切にしています。
田中さんとの今
卒業後も、田中さんとは年に数回会います。近況報告をしたり、悩みを相談したり——今では、支援者と利用者ではなく、人生の先輩として関わってくれています。
先日会った時、田中さんは言いました——「あの頃のあなたからは想像できないほど、成長しましたね」。
その言葉が、とても嬉しかったです。
支援の連鎖
私が田中さんから受けた支援を、今度は私が誰かに渡す。その人がまた、誰かに渡していく——支援の連鎖が生まれています。
これこそが、田中さんが私に残してくれた最も大きな贈り物だと思います。
支援を拒んでいる人へ
「誰も信じられない」気持ちはわかる
もし今、支援を拒んでいるなら、その気持ちはよくわかります。私もそうでした。
過去に傷ついた経験があるなら、なおさら人を信じるのは難しいでしょう。それは当然のことです。
でも、一度だけ試してみて
でも、もし可能なら、一度だけ試してみてください。支援を受けることを。
すべての支援者が同じではありません。田中さんのように、あなたのペースを尊重し、焦らせず、ただそばにいてくれる支援者も、必ずいます。
もし合わなければ、変えることもできます。諦めずに、自分に合った支援者を探してください。
支援を受けることは弱さじゃない
支援を受けることは、弱さではありません。むしろ、助けを求める勇気です。
一人で抱え込むより、誰かと一緒に歩む方が、確実に前に進めます。
私も、田中さんがいなければ、今の人生はありませんでした。支援者との出会いが、人生を変えることは、本当にあるのです。
「支援者は、あなたを変えようとする人ではありません。あなたが変わろうとするのを、そばで支える人です。主役は、常にあなた自身なんです」
— 田中さんの言葉
よくある質問
Q1: 良い支援者の見分け方はありますか?
良い支援者は、あなたのペースを尊重し、急かさず、押し付けない人です。「〜すべき」ではなく「あなたはどうしたいですか?」と聞いてくれる人。失敗を責めず、小さな前進を認めてくれる人。もし合わないと感じたら、変更を検討することも大切です。
Q2: 支援者とどのくらいの期間関わることになりますか?
人によって大きく異なります。数ヶ月の人もいれば、数年の人もいます。重要なのは期間ではなく、自立できるようになることです。支援が必要なくなれば「卒業」できますが、困った時にまた頼ることもできます。
Q3: 支援を受けるのにお金はかかりますか?
多くの福祉サービスは、障害福祉サービスとして自己負担が軽減されます。所得に応じた負担上限があり、多くの場合は無料または低額で利用できます。詳しくは、お住まいの市区町村の障害福祉課に相談してください。
Q4: 家族も支援者と関わることはできますか?
はい。むしろ家族の関わりは重要です。多くの支援者は、本人だけでなく家族のサポートも行います。家族向けの心理教育プログラムや相談支援もあります。家族が病気を理解し、適切な関わり方を学ぶことが、回復を助けます。
Q5: 支援者との関係がうまくいかない時は?
率直に支援者に伝えることが大切です。良い支援者なら、あなたの意見を尊重し、関わり方を調整してくれます。それでも改善しない場合は、支援者の変更を検討しましょう。相性は重要で、変更は決して悪いことではありません。
まとめ
この記事では、一人の精神保健福祉士との出会いが私の人生をどう変えたかについてお話ししました。
- 支援者との信頼関係は、時間をかけて築かれます
- 「待つ」「尊重する」「急がない」姿勢が、支援の基本です
- 支援を受けることは弱さではなく、勇気です
- 良い支援者との出会いは、人生を変える力があります
もし今、孤立している、支援を拒んでいるなら、一度だけでも試してみてください。あなたに合った支援者は、必ずいます。その出会いが、あなたの人生を変えるかもしれません。一人で抱え込まず、助けを求めてください。

鈴木 美咲
(すずき みさき)42歳📜 保有資格:
社会福祉士、相談支援専門員
相談支援専門員として15年、障害のある方とそのご家族の「困った」に寄り添ってきました。実際の相談事例をもとに、当事者やご家族のリアルな声、具体的な解決策をお届けします。「一人で悩まないで」がモットーです。
社会福祉士として障害者相談支援事業所に勤務し15年。年間約100件の相談に対応し、サービス等利用計画の作成や、関係機関との調整を行っています。この仕事の魅力は、「困っている」状態から「解決した!」という笑顔に変わる瞬間に立ち会えること。ただし、制度が複雑で「どこに相談すればいいか分からない」という声を本当によく聞きます。特に印象深いのは、お子さんの障害を受け入れられず孤立していたお母さんが、同じ境遇の親の会に繋がり、「一人じゃないと分かって救われた」と涙ながらに話してくださったこと。情報と繋がりの大切さを実感しました。記事では、実際の相談事例(もちろん個人情報は特定できないよう配慮)をベースに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えていきます。
もっと詳しく▼
💭 福祉の道を選んだ理由
大学のボランティアで障害のある方と出会い、「困っている」を「解決した!」に変える仕事がしたいと思ったことがきっかけです。
✨ 印象に残っている出来事
孤立していたお母さんが、親の会に繋がり「一人じゃないと分かって救われた」と話してくださったこと。
✍️ 記事を書く上で大切にしていること
実際の相談事例をもとに、「こんなとき、どうすればいい?」という疑問に答えることを大切にしています。
🎨 趣味・特技
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